原発事故で自主避難した私の生き方

福島からの自主避難者である「しすたー」の想いや考えを伝えます。

お願いがあります…

エニアグラム

私はタイプ4なのだけれども、
幼い頃は3だったんだと思う。

社会に従順、
大人にも従順、
「良い子」でいることを選択してました。

良い子自体が悪いわけではないんだろうけども、
日本でいう「良い子」はやっぱりねじ曲がった「良い子」なんだろうと私は思う。

聞き分けがよくて、
大人のご機嫌をとるのが上手で、
おべっかさんで。

ヌード

私はこの七年できて、凄くヌードにちかいくらい、
自分を偽るための服や仮面を脱いだと思う。
何枚も何枚も。

今はそのヌードに綺麗な青と黄色のベールを羽織ってみたり、
時には白いきらきらしたベールを羽織ってみたり、
時には緑のベールをかぶってみたりする。

そして、にっこり笑って、チャームポイントのえくぼを押したり、つついたりして、ふふっと遊んでみたりする。

私の未来予想図

今、私が住みたいのは、
畑のある小さな一軒家。
友達とか、大切な人と寝泊まりできる小さな一軒家。

みんなで朝畑の仕事をしたり、
手芸の仕事をしたり、
絵を描いたりして、
自分が思う「生きる」ための模索をする。

たまに、カウンセリングやセッションをしたりして、
これからの「生きる」力を高めあったり、
たまに、みんなで音楽をしたり自然の中で遊んだりして、
みんなで戯れて余暇を過ごしたい。

今、私がしたいことは
お話会、講演会。
教育関係者の人と今は会いたい。
学校の現場にこれから「生きる」ことってどういうことなのかを一緒に考えていきたいって思う。

それから、
本の出版。
ずっと残し続けてきた「望郷」をもっと形あるものにしたい。
もっと、沢山の人に私の経験をもとにいろんなことを考えてほしい。
大人へは警鐘を鳴らし、
子どもたち、若者たちには「生きる」希望や覚悟を提示したい。

お願い

いずれでも、
カンパ、人脈、情報、
あれば教えてほしいです。

「生きたい」人と繋がって、
生きていきたい。
愛を実現したいです。

どうかよろしくお願いします。


保養を終えて

保養から帰宅

 

涙の別れをして、帰路につきました。

今回の保養は私にとってかなり大きな成長に繋がったなと感じています。

 

保養に来る子どもたちと会うのが怖い

 

私にとって今回の保養はチャレンジでした。

住んでいる場所、生活環境が危険だと認知している母子と会うことで

私の胸が傷むのではないかと思っていたからです。

今回の保養の手伝いの参加を決めたのは、

真実から目をそむけたくないという思いもあったし、

何よりもタイミングがきたという感じでした。

 

自分の内面と向き合うという覚悟が出来たからこそ、

今回の保養にチャレンジできたのだと思います。

 

保養三日目に涙

私は今回の保養の3日目に既に涙。

理由は夜の夢に原発事故の時に福島に置いてきた大切な人が現れて、

一緒に楽しい時間を過ごしたからでした。

 

それは本当に楽しく、私の夢を叶えてくれた夢でした。

 

保養の二日目には子どもたちの笑顔が見れ、

素直な感情を表に出している様子や、

母親に甘える姿をみて、幼き頃の自分をそこに投影していました。

 

私は親から「良い子」として育てられてきました。

様々な抑圧を受けてきたこともあり、

今回、保養に来た母子の姿は私にとってかなり衝撃的なものでした。

愛に溢れていて、なんて素直で美しいのだろうかと感じました。

 

私も幼いころもっと素直に生活したかった。感情を吐露したかった。

と、感じると同時に、

震災と原発事故があった時に家族からも孤立し、孤独を味わった「愛情不足」の感覚がフラッシュバックしてしまったのです。

 

おとなになってしまった私。

でも、それでも、心の中はカタカタ震えていて、

インナーチャイルドが癒やしを求めているのがはっきりと分かりました。

腑に落ちたといったほうが正しいでしょう。

 

私は、自分を抱えて泣きました。

信頼できる人に電話をしたり、メッセをしたりして、

泣きました。

 

人には変えられない運命というか宿命のようなものがあります。

それをどのように乗り越えるのかということが本当に難しい。

 

私は、寂しさに震える自分をそっと労るように、

抱きしめて、苦しさを味わいました。

 

誰かの胸に逃げたかったし、

誰かに甘えたい感情もあった。

 

でも人ってそこを乗り越える必要があって、

そのもう逃げたい!っていう感情を感じきることも必要なんだと理解しました。

 

毎日楽しく遊ぶ子どもたち。

無垢な笑顔。

頬をすり寄せ、体を寄せ合ってくる子どもたち。

なんて愛にあふれているのでしょう。

素直な瞳で見つめてくる子どもたち。

 

どうしてこの子どもたちの前で嘘をつけるのでしょうか。

どうして大人たちは放射能という負の財産を残したのでしょうか。

私は感動や喜びもありながらも、悔しさや虚しさも感じていました。

それは今も同じです。

子どもたちがまた家に帰って、学校生活を送る。

お母さんたちの苦労も減らないし、頑張り続ける毎日が続く。

本当になんということをこの国はしたのでしょうか。

本当に私は哀しい。

 

使命

私は今回の保養で自分の使命にも気がつくことができました。

 

それは

自分の経験を多くの人に伝えるということです。

自分が福島で、山形で、そして札幌で経験したことを多くの人に伝えるということです。

 

一人でも多くの若者と繋がって、

生き方の勉強を一緒にしていきたいのです。

そして、

これからの日本、世界を「生きる覚悟」を共に持ち、

土を踏みしめて生きるということを模索したいなと思うのです。

 

自分たちの未来を守るため。

そして、

未来の生まれ来る子どもたちに本当に良いものを残して、

伝えていくことが大切だと思うのです。

 

ここにはまだ言葉に出来ず書ききれないこともありますが、

本当に今回の保養では沢山の事を学ばせてもらいました。

 

ありがとう。

本当に、ありがとう。

 

私は私のできることを全力でやっていくよ。

 

生きる権利を守る為に。

 

本当にありがとう。

 

自分の気持ちに素直になること

寂しさ

なんだろうな…
寂しい。

ほんとに、毎日楽しいんだけど。
根っこに寂しさがあって。

子供がお母さんのことをみて、
みてみて!ってなんか見せてたりしている。
たまに、だだこねてるのをみて、いいな…って思うのだ。

親のしつけ

私は親にいつも怒られてた記憶しかなくて。怒鳴られたり、つねられたり。そんなの当たり前だったから。素直さを出せないまま育ってしまったんだな…って。

親から認められたい

勉強で小五でいきなり頑張りだしたら親が喜んで受け入れてくれて、ほめてくれて。

それがすごくうれしくて、それからずっと親のことを喜ばせたくて勉強してた。

もちろん、そこで、学ぶことの楽しさもあったんだけど。

根底が誉められたり認められたりするということにあったんだろうね。

自分の気持ちに素直になること

自分の気持ちに素直になるってすごく難しくて。

子供のような無垢な心で、疑いもせずにただ、楽しく生きていけたらと思う。

今はすごく寂しい気持ちと、
空虚感でいっぱい。

一人の時間が欲しいなと思ってしまう。

それでいいんだと思う。
保養の手伝いをしつつ、ひとりになれる時間はひとりになって、自分のメンテナンス。

ゆっくりでいい。
ゆっくりやっていこう。

保養29日から3日

今日まで、子どもたちと一緒にいるのも残り一週間となった。

毎日子どもたちの笑顔に背中を押されていく。

楽しく過ごすと言うことを私達は忘れてしまっているのではないだろうか。

本当に楽しんで過ごすこと、感性をつかうこと、私達が忘れていることを子どもたちは教えてくれる。

この子どもたちの未来を作る責任がある。
本当に大切な未来を守りたい。


保養25日から28日

保養のお手伝いに参加してます。

子どもたちから私の方がパワーをもらっている毎日。

夜な夜な、私は思い出し夢をみています。

子どもたちと接することで、
心がけ洗われて、純粋になっていくのを感じます。

やっぱり、子どもたちは美しい。
素直で、純粋で。かわいい。

オホーツクの海で少し遊んできました。
ひさびさの海。


音楽と共感覚

音楽

音楽というのは
私の中では人生のそばにあるもの
ひとつひとつの音楽を聞いただけで、当時のめり込んで聞いていたときの気持ちがふっとよみがえる。

匂いや色も同じ。

音や文字や人の色もそのときと違ったものを感じることも。

共感覚というらしいが。

なぜ泣いているのか?

ところで、今ふと思ったのは
放射能が赤だとするならば、
草木は緑。

ナウシカの世界だなと思う。
生と死を対照的にみたときにそれぞれがお互いを引きたてる。
より生を生とみせ、
より死を死と見せる。

放射能の中で生き生きともがきながらも生きる生き物を
美しいと思ってしまう。

死と隣り合わせでありながらも、
そこで賢明に生きる生き物は美しい。

でも、それが正しいことだとは思わない。

なんて、複雑なんだろうと思う。
自然と涙が流れてくる。
美しくて泣いているのか、
悔しくて泣いているのか、
よくわからない感情が沸いてくる。

空に答えはないのに、思わず見上げてしまう。
こたえがもらえるんじゃないかって。

感傷的になること

こんな気持ちで聴いている曲にはもう、
その感情の色や映像がのってしまう。

感傷的になることもあってもいいのだと思う。
むしろ、そこを端折ったり、
否定したりすれば、
やっぱり私たちはゆがんでしまうと思う。

どこかませたような、
年齢にあわない笑みを浮かべてしまうような。

だから、私も素直になれるときに思いっきり素直になろうと思う。

それが、私が今の私にできる一番のことだから。


通信簿と私

通信簿=私?

通信簿にはどんな中身の人間なのかということをチェックするような欄がついていた。

優しい、思いやりがある、自発的である…
そんな項目だったと思う。

そこのチェックがほしいが故に、人格を形成し、偽りの自分を作り上げていた中学生の私がいた。

その時はそれが悪いことだなんて思ってもなかった。自然と、そうしなければならないものなんだとすら思っていた。

私なのに私じゃない。

今思うと、可哀相だなとおもう。
世の中が決めた良い子になることが目標みたいな。
そういう思いこみが発生してしまうんだなぁと。
私なのに私じゃない。
私だけど私じゃない。

そんな私が七年前に形成されていた。

そういう私は結局、モロかったんだなぁと思う。
誰かが示した見本に従って作った人格は案外もろく、
震災、原発事故後、私は私を見失ってしまった。

未だに無意識の部分でもやもやしている気がする。

もっと自由に生きていいんだよ。と伝えたい。
なにも教えなくとも必要なことが本来なら学び取れるような社会である必要があるのに、この国はそこも十分でないから教育で雁字搦めにしてしまうんだろうね。

かなしいね。ほんとうに。

私の生き方は

私は20越えてから気がついた。
やり直しもまだなんとかなるくらいの年齢。

固定の仕事に就かず、
自由に好きなことをして、

ナチュラルな生活をこころがけて、

付き合うとか結婚するとかにとらわれない異性とのあり方を大切にして、

私らしいを自由に表現。

かたーい脳みそをやわらかーくさせて、

好きなように生きていく。

それが私の選んだ生き方。

いいんだよ。大人も子供も関係なく自由に生きよう。
愛に従って自由に生きれば、
道は自然と開けるから。