原発事故で自主避難した私の生き方

福島からの自主避難者である「しすたー」の想いや考えを伝えます。

自分を信じる

9月末から10月初めにかけての本州旅で・・・

こんばんは。

ご無沙汰しております。

しすたーです。

 

9月末から10月初めまで、仕事の関係で本州に行ってきました。

今度、その時の風景写真なども載せたいなと思っているのですが、今日の本題はその仕事中の出来事についてです。

 

気が付いてほしいの連鎖

以前早野氏についての記事を書いて投稿した。

忘れてしまったという人は、↓記事を見てほしい。

nostalgia311.hatenablog.com

どれだけ、子供たちに学ばせたい、気が付かせたい、気が付いてほしいと思っても、それがもしも、命にかかわるようなことであれば私はしてほしくないと思っている。

 

これは一緒に「戦場にいかないか」と言っているようなものだなと私は感じている。

 

学生や若者が自力で調べて、自分の責任で行ってきたいというのであれば、百歩譲って(ほんとは譲りたくないが)正直しつこくとめることはできないなと思っている。

 

しかし、十分に知識のないような、ましてや学者やそこで働く東電の人間ですら、確かなことがわかりゃしないのに、安全、大丈夫、などと出まかせをいって、若者はじめ多くの人を呼んだり、誘ったりするのはやめてほしい。

 

たとえ、その誘いが「冗談半分」だとしても私は許すことができない。

というより、冗談半分であるならば猶更ゆるせない気持ちになる。

安易な気持ちでそんなこと言っていいのか。

 

自分一人で行ってきて、周りの人に一切の迷惑をかけないというのであれば正直好きなようにしたらいいと思う。しかし、一人でも迷惑をかけるのであれば私は安易にホットスポットであるところに行くということを誘うべきではない。

 

札幌のチカホにある「アート」展示について

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「どちらを支持するものでもない」としながら気が付いてほしいという「問題提起」のために展示したということがわかる。

 

この元の標語を作ったご本人の意図や意思も無視して「アート」として発表する無神経さに私は正直いらだちと憤りを感じている。

 

ホットスポットに人を誘うということの無神経さと、この標語を「アート」とする無神経さは私は非常に似通ったものだと感じている。そもそも、この標語は本来アートとして飾られていたものではないのだ。それを「アート」とするということにアーティストとしてそれでいいのか?ほんとうに?と素人ながらに突っ込みを入れたくなる。

 

気が付いてほしい。という思い。

おそらく本人には悪気はない。

むしろ中立だといいたいのだろうし、考える機会を与えたいのだろう。

確かに想像力の欠如は今の日本では非常に問題視されていることで、様々なことについて無神経どころか、無関心な人すらいる。そういった人に対してのアプローチの仕方は本当に難しいとおもう。私自身どうしたら振り向いてもらえるのかわからず、あたまを抱えている。厳密にいえば「気が付いてほしい」からうまれた「行動」にどれだけの責任を私は負えるだろうかと考え、頭を抱えているのだ。

 

安易に「一緒に行こう」とも言いたくなければ、

安易に「原子力明るい未来のエネルギー」の標語(ましてや標語の作り手がいらっしゃるのにも関わらず)を使いたくない。

 

傷ついて、取り返しがつかないほどに誰かを追い詰めるかもしれないという可能性があるのに。

 

何の責任も取る覚悟もないくせに、気が付かせたいだの、考える機会を与えたいだの言われたくない。

 

想像力がないのはどっちだよと私は言いたい。

 

自分を信じる

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誰かがこういったから

では済まされないようなことがたくさんある。

あの日、あの時、あの場所で、私が経験してきたことはそういうことだった。

311があって、原発事故があって、

何もかもを見失って、自分も周りも信じられなくなって、

自分も周りもたくさん傷つけてきた。

死にたくなったこともあるし、殺したくなったこともある。

 

でも、それでも、こんな私を助けてくれる人がいて、

支えてくれる人がいて、

ここまでこれた。

 

おかげさまで。の言葉だけでは足りないくらい。

ありがとう。の言葉だけでは足りないくらい。。。。

 

だからこそ、私は

 

覚悟を持って「生きる」ことを選択したし、

同時に覚悟をもって「死ぬ」ことを選択した。

それは、後悔のない「生き方」をして「死」にたいといういみ。

 

自分を信じて、自由に生きていきたい。

希望の光を絶やさずに生きていきたい。

 

たくさんの人に

いつもごめんね。

支えてくれて本当にありがとうと言いたくて。

 

たくさん、愛と対話が広げるために、これからますますいろんなアクションを起こしていきたいと考える年末です。

 

また更新します。

 

お知らせ

大事なお知らせです。

今回をもって、こちらの「原発事故で自主避難した私の生き方」のブログの更新を終わりにします。

今まで読んでくださっていたみなさん、本当にありがとうございました。

 

えーーーーーーーーーーーーやめちゃうの!??????

 

と思ってくださった皆さん(勝手に皆さんにする傲慢な奴w)

 

安心してください。ブログは続けますから(^_-)-☆

 

ということで次回から新しいブログ先で更新していきます。

こちらも残しておきますし、参考リンク先として今後のブログでも取り上げたりしますので遊びに来てくださいね。

まだ、サイトができたてほやほやすぎて何も完成してません。

お楽しみにー★

 

今後ともしすたーのことをよろしくお願いいたします。

aitaiwa.hatenablog.com

 

泣きたくて

泣いて、泣いて

泣いても仕方がないんだけどね...

しんどいんだな...

休むことが許されてる

体調不良

こんにちは

 

今週の月曜日から鼻水がとてつもなく出ていて、夜から熱が出ました。珍しく8度まで熱があがり、体がだるく、重くなりました。

 

薬にはなるべく頼りたくないたちなので、

梅肉エキス、酵素玄米(この二つは風邪をひいたと聞いて心配してくださったかたからいただきました)スギナ、スベリヒユエキナセア...。体によいものを接種して横になってました。

 

火曜日は熱は7度前後まで下がり、夕方には鼻水と咳だけになりました。

 

水曜日は熱は完全に下がり鼻水と咳だけ。喉の奥に痰が絡んでいる程度で済んでいます。

 

仕事は今週はお休みをいただくことに。

 

今まで体調不良で休んでもなにも言われないという環境にいたことがなく、今回非常に感動しています。

 

休んだら睨まれる

人数が足りないのに!!

何で休むの?

来て当たり前。

 

そんなことを言われたり、白い目で見られ、睨まれることが常でした。

 

休んでもいいんだと思ったらふと涙が出てきました。

 

思えば最近ちゃんと休んでなかった。

自分のことあまり大事にできてなかったと反省。

 

人にうつさないようにするのが大切な仕事でもあるのできちんと治してから出勤したいと思います。

 

休むことも許されず這いつくばっていったい何を探しているのか

 

にしても、この国は、

休むことを許さないですよね。

 

そうそう、保養だってそうです。

もともと休むことが文化としてないこの国は休むことがどういうことなのかを理解していないし、自分を大切にすることを忘れてしまっているように思います。

 

社会人になったとき、いきなり放り出され、怒濤のように社会のシステムに巻き込まれていきます。

 

それが当たり前だと思っている人も多いかと思いますが、私は違和感を感じています。

 

何をしているのか、

何がしたいのか、

何を求めているのか、

 

それすらも分からなくなるほどに、休まずに毎日をこなしていくのは、ほんとうに辛いだけだと私は思います。井上陽水が歌ってますね。

 

探すのをやめたとき、見つかることもよくある話で、踊りましょう、夢の中へいってみたいと思いませんかぁ~。

 

たまにはゆっくり休んで、自分の中にあるコンパスを確認することが大切なのかもしれません。

 

 

今回は色んな人にも迷惑や心配をかけてしまいました。ごめんなさい。

 

また、エンジンかけなおして、元気に生きていけるようにしようとおもいます。

 

 

 

いないとダメなんでしょ?という傲慢さ

存在意義の主張

私が、俺が、僕が、
いないとダメだね?
必要なんでしょ?

と真面目な顔で言われても、
性格的に否定できない自分がいる。

内心、いや、いなくてもいい...(--;)
とか思ってるが、これをいったら相手を傷つけてしまうのではないかという気持ちになるという人もいると思う。

 

自己肯定感の欠如

ストーカーや共依存の関係と何ら変わらない。本人は自覚してなくともね。親子の関係にもこれはよくある。

親なんだから心配して当たり前
、彼氏、彼女なんだから心配して当たり前、と思うかもしれないけど。

わたし、おれ、ぼく、
がいないとダメなんじゃん

って、、、私のことどんだけ信用してないの?と思うし、いないとダメな自分を定義付けされてるみたいで私はいやだ。

 

大切にしてるんだろうなってことはつたわるけど、それは愛っていわないと私は思う。

 

私がいないとダメなんだって、
そこで自己肯定感を満たすのってどうなの?
仕事でもいませんか?そういうひと。

 

大切にすることと、愛することの違い

 

私がいないと...って、自分の立場を大切にしたい人の言い訳でしかないないなと思う。

 

自分は相手にとって必要なんだ!!ってそれ、明言するのはせめてやめようよとおもう。それを決めるのはあなたじゃなくて、お相手さんだから。

 

愛することって対等である必要がある。

一方的に誰かの言うことを聞いたり、

話したりする関係性はフェアじゃない。

 

優勢思想

余談になるが、ジェンダーの違いによって差別されるこの世の中は本当に狂ってると思う。

女だからダメとか、

男だから見逃しとか。逆もしかり。

 

確かに、適性ってものはあるとおもう。

それは本人が自覚してない部分もあるし、他者が介入してアドバイスすることはある。

 

でも、今回のように自分の存在が相手にとって必要だというような論は、人のことを勝手に判断して、それを自分の餌にして満足するのはエネルギーヴァンパイアとそんなに変わらない。

 

適性云々を越えてるなと思う。

相手がどんな相手であれ、それは言ってはならない。傲慢だなと私は思う。

 

言えなくて辛いあなたへ

自己肯定の餌になってしまっているのだけど、辛くていえないという方。

 

餌になった側、された側、実はした側も皆、共に疲れるし、プラスになることはない。

 

共依存と、ストーカーを助長させるし、

差別を助長させて、フェアな関係性がなくなります。

 

ちゃんと、言ってあげるのが本当の優しさかもしれないから。ちゃんと言おう。嫌だ。って。

 

私はあなたの所有物じゃない。

勝手に私の気持ちを判断するな。と。

Want To List & Able To List最新版\(^o^)/

こんばんは

お久しぶりです。

 

久々の投稿すぎて干からびそうです。

 

近況報告

 

ライターの仕事の他に、介助の仕事や、カメラの仕事もするようになりました。

できることが増えて本当に楽しい毎日を送っています。

 

アクセサリー作り(ビーズ・天然石)

手芸全般

畑仕事

楽器

映画鑑賞

音楽鑑賞

カメラ撮影 

観光

食事改善

歌うこと

人と会うことはなすこと

 

などなど、沢山、楽しいことが毎日何かしらできてます。

素敵な毎日\(^o^)/

 

でも、懐は・・・・(ちーん)

 

これからしたいこと

 

これからしたいことは

まず、

長岡式酵素玄米の釜を買うこと。

一括で変えるお金が手元になくて、ほんとに悔しい!

買いたいのに!!!

 

次に持ち運びのPCを買うこと。

実は最近ライターの仕事をしててもエンジンが掛からないことがしばしば。

外にPCを持ち運べたら、気分を変えて仕事ができるのにと思ったり。。。

kakaku.com

候補としてはこれかな。

でも、お店にいってみないとわからないなー。

私のモチベーションにもかかわるし。

何よりもより、荷物をちいさくコンパクトに身軽にしたい・・・。

ミニマムにいきたいなーと。

 

大きなお買い物はこの2つかな。

前職と同じくらいの給料を稼げるようになれば、また貯金もできるようになるので、

とりあえず、それまで頑張るしか無いのか・・・。

 

なんやかんや世の中お金なのか。

哀しいかな・・・。

できるだけ、お金から離れたい!そう思うこのごろでした。

 

 

お願いがあります…

エニアグラム

私はタイプ4なのだけれども、
幼い頃は3だったんだと思う。

社会に従順、
大人にも従順、
「良い子」でいることを選択してました。

良い子自体が悪いわけではないんだろうけども、
日本でいう「良い子」はやっぱりねじ曲がった「良い子」なんだろうと私は思う。

聞き分けがよくて、
大人のご機嫌をとるのが上手で、
おべっかさんで。

ヌード

私はこの七年できて、凄くヌードにちかいくらい、
自分を偽るための服や仮面を脱いだと思う。
何枚も何枚も。

今はそのヌードに綺麗な青と黄色のベールを羽織ってみたり、
時には白いきらきらしたベールを羽織ってみたり、
時には緑のベールをかぶってみたりする。

そして、にっこり笑って、チャームポイントのえくぼを押したり、つついたりして、ふふっと遊んでみたりする。

私の未来予想図

今、私が住みたいのは、
畑のある小さな一軒家。
友達とか、大切な人と寝泊まりできる小さな一軒家。

みんなで朝畑の仕事をしたり、
手芸の仕事をしたり、
絵を描いたりして、
自分が思う「生きる」ための模索をする。

たまに、カウンセリングやセッションをしたりして、
これからの「生きる」力を高めあったり、
たまに、みんなで音楽をしたり自然の中で遊んだりして、
みんなで戯れて余暇を過ごしたい。

今、私がしたいことは
お話会、講演会。
教育関係者の人と今は会いたい。
学校の現場にこれから「生きる」ことってどういうことなのかを一緒に考えていきたいって思う。

それから、
本の出版。
ずっと残し続けてきた「望郷」をもっと形あるものにしたい。
もっと、沢山の人に私の経験をもとにいろんなことを考えてほしい。
大人へは警鐘を鳴らし、
子どもたち、若者たちには「生きる」希望や覚悟を提示したい。

お願い

いずれでも、
カンパ、人脈、情報、
あれば教えてほしいです。

「生きたい」人と繋がって、
生きていきたい。
愛を実現したいです。

どうかよろしくお願いします。


保養を終えて

保養から帰宅

 

涙の別れをして、帰路につきました。

今回の保養は私にとってかなり大きな成長に繋がったなと感じています。

 

保養に来る子どもたちと会うのが怖い

 

私にとって今回の保養はチャレンジでした。

住んでいる場所、生活環境が危険だと認知している母子と会うことで

私の胸が傷むのではないかと思っていたからです。

今回の保養の手伝いの参加を決めたのは、

真実から目をそむけたくないという思いもあったし、

何よりもタイミングがきたという感じでした。

 

自分の内面と向き合うという覚悟が出来たからこそ、

今回の保養にチャレンジできたのだと思います。

 

保養三日目に涙

私は今回の保養の3日目に既に涙。

理由は夜の夢に原発事故の時に福島に置いてきた大切な人が現れて、

一緒に楽しい時間を過ごしたからでした。

 

それは本当に楽しく、私の夢を叶えてくれた夢でした。

 

保養の二日目には子どもたちの笑顔が見れ、

素直な感情を表に出している様子や、

母親に甘える姿をみて、幼き頃の自分をそこに投影していました。

 

私は親から「良い子」として育てられてきました。

様々な抑圧を受けてきたこともあり、

今回、保養に来た母子の姿は私にとってかなり衝撃的なものでした。

愛に溢れていて、なんて素直で美しいのだろうかと感じました。

 

私も幼いころもっと素直に生活したかった。感情を吐露したかった。

と、感じると同時に、

震災と原発事故があった時に家族からも孤立し、孤独を味わった「愛情不足」の感覚がフラッシュバックしてしまったのです。

 

おとなになってしまった私。

でも、それでも、心の中はカタカタ震えていて、

インナーチャイルドが癒やしを求めているのがはっきりと分かりました。

腑に落ちたといったほうが正しいでしょう。

 

私は、自分を抱えて泣きました。

信頼できる人に電話をしたり、メッセをしたりして、

泣きました。

 

人には変えられない運命というか宿命のようなものがあります。

それをどのように乗り越えるのかということが本当に難しい。

 

私は、寂しさに震える自分をそっと労るように、

抱きしめて、苦しさを味わいました。

 

誰かの胸に逃げたかったし、

誰かに甘えたい感情もあった。

 

でも人ってそこを乗り越える必要があって、

そのもう逃げたい!っていう感情を感じきることも必要なんだと理解しました。

 

毎日楽しく遊ぶ子どもたち。

無垢な笑顔。

頬をすり寄せ、体を寄せ合ってくる子どもたち。

なんて愛にあふれているのでしょう。

素直な瞳で見つめてくる子どもたち。

 

どうしてこの子どもたちの前で嘘をつけるのでしょうか。

どうして大人たちは放射能という負の財産を残したのでしょうか。

私は感動や喜びもありながらも、悔しさや虚しさも感じていました。

それは今も同じです。

子どもたちがまた家に帰って、学校生活を送る。

お母さんたちの苦労も減らないし、頑張り続ける毎日が続く。

本当になんということをこの国はしたのでしょうか。

本当に私は哀しい。

 

使命

私は今回の保養で自分の使命にも気がつくことができました。

 

それは

自分の経験を多くの人に伝えるということです。

自分が福島で、山形で、そして札幌で経験したことを多くの人に伝えるということです。

 

一人でも多くの若者と繋がって、

生き方の勉強を一緒にしていきたいのです。

そして、

これからの日本、世界を「生きる覚悟」を共に持ち、

土を踏みしめて生きるということを模索したいなと思うのです。

 

自分たちの未来を守るため。

そして、

未来の生まれ来る子どもたちに本当に良いものを残して、

伝えていくことが大切だと思うのです。

 

ここにはまだ言葉に出来ず書ききれないこともありますが、

本当に今回の保養では沢山の事を学ばせてもらいました。

 

ありがとう。

本当に、ありがとう。

 

私は私のできることを全力でやっていくよ。

 

生きる権利を守る為に。

 

本当にありがとう。