原発事故で自主避難した私の生き方

福島からの自主避難者である「しすたー」の想いや考えを伝えます。

自分の気持ちに素直になること

寂しさ

なんだろうな…
寂しい。

ほんとに、毎日楽しいんだけど。
根っこに寂しさがあって。

子供がお母さんのことをみて、
みてみて!ってなんか見せてたりしている。
たまに、だだこねてるのをみて、いいな…って思うのだ。

親のしつけ

私は親にいつも怒られてた記憶しかなくて。怒鳴られたり、つねられたり。そんなの当たり前だったから。素直さを出せないまま育ってしまったんだな…って。

親から認められたい

勉強で小五でいきなり頑張りだしたら親が喜んで受け入れてくれて、ほめてくれて。

それがすごくうれしくて、それからずっと親のことを喜ばせたくて勉強してた。

もちろん、そこで、学ぶことの楽しさもあったんだけど。

根底が誉められたり認められたりするということにあったんだろうね。

自分の気持ちに素直になること

自分の気持ちに素直になるってすごく難しくて。

子供のような無垢な心で、疑いもせずにただ、楽しく生きていけたらと思う。

今はすごく寂しい気持ちと、
空虚感でいっぱい。

一人の時間が欲しいなと思ってしまう。

それでいいんだと思う。
保養の手伝いをしつつ、ひとりになれる時間はひとりになって、自分のメンテナンス。

ゆっくりでいい。
ゆっくりやっていこう。

保養29日から3日

今日まで、子どもたちと一緒にいるのも残り一週間となった。

毎日子どもたちの笑顔に背中を押されていく。

楽しく過ごすと言うことを私達は忘れてしまっているのではないだろうか。

本当に楽しんで過ごすこと、感性をつかうこと、私達が忘れていることを子どもたちは教えてくれる。

この子どもたちの未来を作る責任がある。
本当に大切な未来を守りたい。


保養25日から28日

保養のお手伝いに参加してます。

子どもたちから私の方がパワーをもらっている毎日。

夜な夜な、私は思い出し夢をみています。

子どもたちと接することで、
心がけ洗われて、純粋になっていくのを感じます。

やっぱり、子どもたちは美しい。
素直で、純粋で。かわいい。

オホーツクの海で少し遊んできました。
ひさびさの海。


音楽と共感覚

音楽

音楽というのは
私の中では人生のそばにあるもの
ひとつひとつの音楽を聞いただけで、当時のめり込んで聞いていたときの気持ちがふっとよみがえる。

匂いや色も同じ。

音や文字や人の色もそのときと違ったものを感じることも。

共感覚というらしいが。

なぜ泣いているのか?

ところで、今ふと思ったのは
放射能が赤だとするならば、
草木は緑。

ナウシカの世界だなと思う。
生と死を対照的にみたときにそれぞれがお互いを引きたてる。
より生を生とみせ、
より死を死と見せる。

放射能の中で生き生きともがきながらも生きる生き物を
美しいと思ってしまう。

死と隣り合わせでありながらも、
そこで賢明に生きる生き物は美しい。

でも、それが正しいことだとは思わない。

なんて、複雑なんだろうと思う。
自然と涙が流れてくる。
美しくて泣いているのか、
悔しくて泣いているのか、
よくわからない感情が沸いてくる。

空に答えはないのに、思わず見上げてしまう。
こたえがもらえるんじゃないかって。

感傷的になること

こんな気持ちで聴いている曲にはもう、
その感情の色や映像がのってしまう。

感傷的になることもあってもいいのだと思う。
むしろ、そこを端折ったり、
否定したりすれば、
やっぱり私たちはゆがんでしまうと思う。

どこかませたような、
年齢にあわない笑みを浮かべてしまうような。

だから、私も素直になれるときに思いっきり素直になろうと思う。

それが、私が今の私にできる一番のことだから。


通信簿と私

通信簿=私?

通信簿にはどんな中身の人間なのかということをチェックするような欄がついていた。

優しい、思いやりがある、自発的である…
そんな項目だったと思う。

そこのチェックがほしいが故に、人格を形成し、偽りの自分を作り上げていた中学生の私がいた。

その時はそれが悪いことだなんて思ってもなかった。自然と、そうしなければならないものなんだとすら思っていた。

私なのに私じゃない。

今思うと、可哀相だなとおもう。
世の中が決めた良い子になることが目標みたいな。
そういう思いこみが発生してしまうんだなぁと。
私なのに私じゃない。
私だけど私じゃない。

そんな私が七年前に形成されていた。

そういう私は結局、モロかったんだなぁと思う。
誰かが示した見本に従って作った人格は案外もろく、
震災、原発事故後、私は私を見失ってしまった。

未だに無意識の部分でもやもやしている気がする。

もっと自由に生きていいんだよ。と伝えたい。
なにも教えなくとも必要なことが本来なら学び取れるような社会である必要があるのに、この国はそこも十分でないから教育で雁字搦めにしてしまうんだろうね。

かなしいね。ほんとうに。

私の生き方は

私は20越えてから気がついた。
やり直しもまだなんとかなるくらいの年齢。

固定の仕事に就かず、
自由に好きなことをして、

ナチュラルな生活をこころがけて、

付き合うとか結婚するとかにとらわれない異性とのあり方を大切にして、

私らしいを自由に表現。

かたーい脳みそをやわらかーくさせて、

好きなように生きていく。

それが私の選んだ生き方。

いいんだよ。大人も子供も関係なく自由に生きよう。
愛に従って自由に生きれば、
道は自然と開けるから。



知事抹殺の真実と共謀罪

もう、7月!?近況報告

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こんばんは。

 

お久しぶりです。

 

6月が過ぎて7月になりました。

早すぎね!?

 

7月に映画の上映会があり、かなりバタバタしていました。

 

ブログの更新をしている時間が無いというほどに忙しかったのだと思うと、

それはそれで嬉しい気持ち。

 

今日は久々にオフです。

 

ライターの記事書きもしばらく休止しています。(というか、書ける記事がなかなかデてこないっていうのと、検収が終わって無くて返事が来ないとか。。。)

 

なんやかんや、貯金やら、新しいお仕事のお誘いだとか沢山のご縁があってなんとか生活できています。ほんとにありがたいです。

 

7月7日の上映会

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知事抹殺の真実という映画の上映会を行ったのですが、

本当にこの映画は「身に迫る思い」になる映画だとしか言いようがない映画です。

 

権力と権力によって罪のない人がどんどん捕まってしまうわけなのですが、

明日は我が身だとおもわずにはいられないです。

 

共謀罪が通って、11日には本格的に一般の人を捕まえることができるようになってしまうという方向に進んでいます。安倍さんは逃げ切ってしまいたいんだろうなというのがミエミエで。

 

自分が何故捕まったのかもわからない。

正に佐藤前知事はその気持ちでいっぱいだったことでしょう。

まだ共謀罪などという言葉もない時にすでに紛いごとは始まっていたのだと思うと、

本当に恐ろしいことだと思います。

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オウム真理教のことを描いた作品で「A」というドキュメンタリー映画があります。

これもまた、権力やマスコミがいかに人を追い詰めていくのかという真実をまとめている映画です。(A2,A3もあるようなのでみてみたいなと思ってます。)

 

マスコミの報道をうのみにすることによって、知らぬ間に、

「佐藤さんは悪い人なんだ」

「オウムに関係している人は皆悪い人なのだ」

という思い込みが発生してしまっているのだろうなと思います。

 

情報リテラシーも欠如もさることながら、それでもマスコミの責任は大きいだろうと感じます。うがった目で何もかもを見なくてはならないのかと思うと、悲しいですね。

 

思い込みというのは本当に怖いもので人を盲目にさせます。

 

真実を自分がほんとうに見ているかどうかというのは分からない。

丸だと思っていたものが実は四角だったなんてこともあります。

円錐だとおもってたのに、円柱だったとかね。

 

鵜呑みにしないで自分なりに真実かどうかを確認して噛み砕いてからのみこんだほうがきっと身のためなんだろうなと私は思ってます。

 

本当のことを言っちゃ駄目な世の中にしないために

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本当のこと言ったら捕まっちゃうかもしれない。

冗談半分で言っただけなのに捕まっちゃたよ。

え、そもそも何の話!?

そんなことで捕まるノ!?というくらいのことでも、結局国は「この人消したい」とおもったら全力で消してきます。

 

じゃあ、静かにしてれば問題ないでしょ。

と思う人もいるでしょう。

 

でも、残念。そんな貴方も巡り巡って誰かの関係者として捕まるかもしれないんです。

 

大切なのは正義や覚悟を自分の中にきちんと持つということだと思います。

何かがあったときに堂々と旨をはって、説明できるだけの正義や覚悟を持って生きているかということが今後さらに問われてくるのだろうなと切実に感じています。

 

私も今後ともブログは続けていきますし、社会活動にも参加していきます。

是非皆さんと自分の正義や覚悟を持って、自分の足で歩みを進めて一緒に歩んでいけたらと思っています。

 

なかなか、更新できないときもありますが、

どうか末なが~くよろしくお願いいたします。

それでも黙らない

共謀罪は凶暴だ

こんにちは。

 

共謀罪、通ってしまいましたね。

牛歩は7人。

 

悲しいですね。

 

野党が野党としての機能を果たしておらず、「結局グル」と思わざるをえないような状況でした。

 

共謀罪は凶暴。

言いたいことが言えなくなる。

 

やましいことがあるんじゃないか?とか、

共謀罪に反対しているやつは在日だとか言っている人もいるけど。

やましいことって、ない人いるんですかね。

今回の法案は何をやましいとするかというのを国が勝手に決めて、

不都合だったらそれはやましいこととして定めちゃうわけだし。

在日??私、在日じゃないけど笑

 

安倍さん主導の政治が行われてるなーと思う。

何に焦っているのかわからないけど、きっとこうして強行採決までしてやらなきゃいけない理由があるんだろうね。

 

思い出話から気がついてしまったこと

それでもこの国の人は、沈黙している。

ただでさえ、原発事故後に口封じされて沈黙する人が増えたとは言え、

それが全国的にもっと広がりを見せることになるって相当やばいよなと思う。

 

今大切なのはひとりひとり、覚悟をもつということだと思います。

確固たる覚悟。

生き方のベースになるのは「安倍思考」ではない。

あくまでも自分の意思で動くという事が大切。

 

沈黙が生むのはなんだろう。

若者は、安倍支持が多いという報道を見たが、

変化を恐れていたり、自己犠牲が伴ってもいいから国を守るのが優先という言葉があった。

 

非常に今の若者らしいなと思うような発言だと私は思った。

長期政権になっているし、ころころと変わられても安定しないから嫌だ。

就職率が上がったから感謝してる。

これらは若者が自分の不安定さを身をもって感じているからこそ思うことなんだろうなと思う。

 

この間、バブルの時代に私ぐらいの年齢だった人と話したのだけれども、

若い頃は楽しかったよねということを話していた。

若いっていいわね!楽しいばっかりじゃない。って。

 

私は気がついてしまった。思い出話を楽しそうに話す姿をみて気がついてしまった。

若いから楽しいのではなく、その時代が非常に潤っていて楽しかったのだと。

 

私が60にもなったときに、若い頃を振り返っても、

楽しい思い出と言うよりか、大変な時代だったという印象でしか無い。

 

世界の変化に対して逆らうような日本の古いやり方にうんざりしていて、

若い人はただただ苦しいだけ。

 

そういう世の中だったとしか言えないだろうな。

強いて言えば、あ、ここまでよく生きてきたという感情になるかも笑

 

若者よ、落胆しても良いのだ

 

と私は自分にも言い聞かせたい気持ちになってしまった。

 

下手によろこんだり、嬉しがったりしてしまっている今の世の中は、お金を殆ど使わず、結婚もしない。別に楽しいことなんて特に無いし、生きているだけで良いという状況になっている。

 

それを年上の人はなんて冷めてるんだろうと言ったりする。

もっと愉しめばいいじゃないと。

 

滑稽だなと思う。

 

でもだからといって私達若者は同情してほしいわけではない。

 

沈黙という行動

若者はそういう意味で沈黙しつつ、行動として示しているのかもしれない。

仕事に行かなくなったり、

早期に生活保護をうけたり、

引きこもりになったり。

 

黙っていても変わらないのだけれども。言ったからと言って変わりゃしないような負の遺産をこの国は残してしまってる。

 

言うなら愚痴ではなく対案だろうな。

 

私は気持ちのある大人の人とこれからもつながりを増やして、アクションを起こしていきたいと思っている。沈黙という行動はあまり性に合ってない笑言わんと気がすまないタイプ。

 

なんだか決意表明のようになってしまった。

また更新します。