読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

原発事故で自主避難した私の生き方

福島からの自主避難者である「しすたー」の想いや考えを伝えます。

戦争と原発事故(過去記事2014-11-30)

戦後から70年

戦争を知る人はほとんどいない状況になってきました。

長崎と、広島に原爆が落ちたとき、日本人はハッと目を覚ましたとよく聞きます。

それまで、「お国のために死になさい」と言われてきました。

当時世界(特に米)が恐れていたのは自分の命をないがしろにする特攻隊や自爆者たちの存在だと聞いたことがあります。

自分の命をけずって、国のために死ぬことが全てだと思っていた日本。それは間違っていると分かっていた人ももちろんいました。

しかしながら、「戦争反対」とでも言えば、牢屋に入れられたり、暗殺されたり。・・・死ぬことを美化する日本人を海外では恐れたと言います。

 

原発事故は戦争と同じことをしている。

原発が爆発したとき、おおくの人はこれは大変なことになったと思ったと思います。戦後まもなくのころ日本は高度成長期を迎えます。1954年(昭和29年)12月から1973年(昭和48年)11月までの19年間とも言われています。

日本は経済・工業活動が盛んになり、多くの資源を使うようになりました。そんななか原発は1966年。茨城県東海村でスタートするのです。「安全・コストが安い」(「安全神話」と呼ばれるもの)そして、何より、原発を引き受けると「恩恵」が得られます。

要は受け入れた地域に経済的にうるおいがもたらされるのです。もちろん事故があった福島もその恩恵を受けた土地でした。現地のひとは原発作業員となれるため、多くの給料がもらえる。地域には原発というものを引き受けたから、補助金が降ります。地域が活性化します。

しかし、この 「安全神話」と「恩恵」は何もかもが嘘でした。

 

残ったものは、見た目は変わらない故郷と目には見えない放射能

今、福島にあるのは虚無な復興のみです。私個人としては、汚染地帯で行われている復興事業は虚無なものだと認識しています。

爆発してから、人々は「間違っていた」と悟りました。原爆が落ちた時もそうです。悲惨なものを目にしてようやくめがさめたのです。

人間は同じ過ちを繰り返している

「戦争反対」というと弾圧された過去。「原発反対」というと弾圧される現在。日本は、過去から学ばなければなりません。学ぶだけではなく癒やす必要もあるでしょう。つまりは赦しと悔い改めが必要だということです。

これから先、同じ過ちを繰り返さないために未来の子どもたちを守るために私達ができることをしていきましょう。