読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

原発事故で自主避難した私の生き方

福島からの自主避難者である「しすたー」の想いや考えを伝えます。

過去記事更新(元原)2014-12-07

私は、短大時代編入したいと思っていた。

編入先で、「法律・経済・憲法」を学んで、これからの日本を変えるにはどうしたらいいかということを学びたいと考えていました。

私は政治家・弁護士になりたいのかというと、そういうことでは無かったのです。

政治や経済、憲法と言うのは、日本という国を構成する根だと思っていました。

しかし、政治や経済、憲法といったものはこの国の葉の部分でしかないのではないかと気がついてのです。

 

 

「木」のたとえ

「木」は、葉のみを交換することはできない。

私たちは、政治や経済を良くしようと、「声をあげる」ことをします。

しかし、それは、「木」の葉の色を外側から染めているだけであって、根幹は何も変わっていないと思うのです。

それは、「水」もおなじことです。

「水」はそのへんの川を掃除しても意味がないのです。

山が汚れていれば、その作業はただの時間の無駄です。

(「原発事故」の除染作業と置き換えてもいいかもしれません)

つまり、政治や経済、憲法を良くしても、実際根幹が変わらなければ、意味はないのです。

では、その根幹とは何なのか。

本来の人間が求めるべき生活に戻ることです。

私は、世界◯◯とかの番組をみたりして、なんで、この国の人はこんなにも輝いているんだろう。とおもっていました。

親に「こういう生活いいよね」といっても、

「そうだね。でも、大変だよ」と言われます。

今の日本に足りないことは、人間本来が求めている「豊かさ」とか、「心地よさ」とかを感じる「ありのままの素直な自分」を大切にすることだとおもうのです。

「豊かさ」とは

小論文でもよく「豊かさ」ということがテーマになったりしますが、

今の生活が果たして「豊かさ」につながるのでしょうか。

大人たちが残した物が

私たちが本来受け継ぐべき「豊かさ」になっているでしょうか。

 

私は、震災・原発事故後から、様々なことをおもって来ました。

「政治家はダメだ、教師はダメだ、大人はダメだ。」

「日本は終わった」

大人はこの国の子どもたちに、大きな「お荷物」を残していきました。

それは、「原発事故」のみにとどまらず「戦争」「地球温暖化」「経済悪化」「貧困」

という形で私たち、若い世代に受け継がれています。

 

私たちが便利で、物があふれた生活をしています。

しかし、よくかんがえてみてください。

本当に、今の私たちの生活が「豊か」ですか。

未来の子どもたちに誇れるものってありますか。

 

「故郷」を失った私が今何を思うか

それは「豊か」な「恵み」の必要性です。

だれもが「福島の自然を返せ」と言います。

それは、失ったものの価値や大切さを自分の体が知っているから。

本当に大切なものは、目の前にあります。当たり前のように。

たとえそれが、見えないものであっても目の前にあるのです。

 

…おまけ

『よきひとたちのピンチを救えるのはけがれたものたちの最後のチャンスなのだから』

(安全地帯・「清く・正しく・美しく」より)

大人を信じる心も必要なのかもしれないです・・・。

せめて悔いの残っている大人の人、根幹が見えている先人たちとつながっていきたいです。