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私の話を聞いて下さい

自主避難者である「しすたー」の想いや考えを伝えます。

【原発 震災】「大人」って何

原発 震災 ゆとり世代

秋・・・?というか冬・・・(泣)???

早いもので近所のイチョウも色づいて来ました。

もう、初雪もふってしまったし、お部屋は暖房でポカポカ。

今月の灯油代がぁぁぁぁ・・・・・まだ・・秋・・?・・冬・???・・。

・・・はい。本題にいきましょう。

 

久々に震災と原発事故についての話

私は実際「大人」という存在が憎くてたまらなくなり、あのあと人間不信になりました。それだけ純粋無垢だったということでもありますね。中学生の頃の私は周囲に対しての疑問を感じつつも、それが何であるかも分からず、むしろ、自分が十分に大人に従っていることについて、自信と誇りすら感じていました。

 

 

あの日、あの時、「大人」たちは何をしていたのか。

私が知っているほとんどの「大人」たちは良くも悪くも自分の事しか考えていませんでした。

悪い方について言及すれば、社会的背景、状態(システムとも呼べばよいでしょうか)に定義されたものであって、とても「生きる」という本願に立ち返るのには程遠いものであったと言えると思います。

 

大川小学校に関してあちこちで取り上げられていますが、あのようなことがたくさんあちこちで発生していたという事実についてはどれくらいの人が認識しているのでしょうか。

 

人命にまで関わっていないだろうという意見もあるかもしれませんが、精神的障碍、負担、ましてや原発事故による放射能の危険性を視野にいれたとすれば、それが人命に関わっていないなど言えるでしょうか。

 

そもそも「大人」とは。

あの時、「大人」「子供」という事を考えたときに最もそういう意味で本当の大人の判断を下せたのは子供だったように感じます。命の声に耳を傾け、その導かれる方向を指し示したのは子供たちだったように私は思うのです。

 

私は本当の大人とは、その生命の声に耳を傾け、素直に自然にあるがままに生きることを選択できるひとだと考えます。

 

周りの空気を読み、「大人」に付き従う事を前提としたやりとり。

私は本当に好きではありません。

それが本当に「大人」であること、「大人」になるということでしょうか。

 

「大人」の顔色をみて常に空気を読むことを私達ゆとり世代は特に教育されてきたように感じます。

「ゆとりはダメだ。何にも言わないし、何もできない。」

私はそうは思いません。

世の中俗に言う「大人」に今の若者は十分に対峙してるように思いますし、今の社会環境に厳しさと同時に疑問も感じているように認識しています。

むしろ「何も言わないし、何もできない。」のは「大人」の方ではないかと感じますし、また若者や子供たちを圧迫し苦しめているのも結局「大人」のように感じます。

 

私は今の「大人」たちに伝えたい事があってこのブログを書いています。

一体、今何を見つめているのか。

日本がどこへ向かおうとしているのか。

それを決めているのは結局私達一人ひとりなのだと私は感じています。

 

自分が何がしたくて、何がしたくないのか。

何ができて、何ができないのか。

相手や自分の一つ一つの言動に意味や背景をより感じる必要があるのではないかと思うのです。そのことによって、生きるという喜びを求めることの美しさを噛みしめることに繋がると思いますし、私自身そのように生きていきたいです。