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私の話を聞いて下さい~原発事故を経験した私の生き方~

福島からの自主避難者である「しすたー」の想いや考えを伝えます。

私が作りたいものは…ブランコなのか!?

仕事辞めたい!!

こんばんは。

今日もお仕事お疲れ様でした\(^o^)/

自分偉い。今日も頑張った。

でもそろそろ仕事やめたい。

正しくは自分のやりたいことに集中したい

 

今日はそんなわけで先日の投稿の続きということで、

プレゼンの内容にも関わる私の目指す思考について少し話を展開しようと思います。

 

お金じゃない価値を創造し続けるという思考

今、スーパーに行けばなんでも売ってますよね。

私も社会人になってからネットショップの運営や接客、販売、品出し等、やってきました。もちろんレジ勘定も。

 

この種類の仕事、バイト時代も合わせると3年?くらいかれこれやってることになります。3年やるとだいぶいろんなこと分かるようになっても来るし、思うことってたくさん出てきます。

 

「え・・・それ買うの??」ってものをレジに持ってこられることがあります。

私、実はものや食べ物を買う時や外食に行くときも、常に心がけていることがあります。それは、「お金を出すだけの価値があるのか」ということ。

どういうことかというと・・・

例えば、私は実はお料理が好きです(*^^*)

出来る限り、材料があれば何でも作ります。作り方が分からなければとことん調べますし、ナチュラルで美味しい料理を追求するのが好きですし、得意でもあります。

そんな私でもたまに外食に行く時あります(泣)

なるべく避けたいのですが、やはり外出していて少し何か食べたくなってしまうこともあるわけで。。。

そんな時、私がチョイスする基準となるのは

  1. 北海道産(または比較的放射能汚染を免れているであろう地域・国が産地)
  2. ベクレてない(乳製品・魚介・きのこ類等放射能吸収食品が含まれていない)
  3. 自分が作れない
  4. ホンモノの味を知っておきたい

主にこの4つの項目です。この項目をクリアしてなければチョイスしないです笑

きのこたっぷり海鮮リゾット!!とか

ミルク濃厚ストロベリーアイス!!とか。

そういうヤバそうなものは絶対食べません。

こういうものを「お金をだす価値がないもの」と私は認識しています。

 

おにぎり一個の価値

 

米価十倍にしなけりゃ日本はつぶれるという本。私はこの本をある知人に勧められてよんだのですが、読んだ当時確かに今の日本の農業のあり方というものにかなりの疑問を感じると同時に私達自身がひとりひとり、コメを作って食べていくということの重要性を感じました。

しかし、私が今思っているのは、その価値を設定したきっかけが何処かに存在したのではないかということなのです。

つまり、米価を何倍にしなければならないのか、ましてやおにぎり一個の価値が変動する理由について思いを馳せる前になぜおにぎり一個に金銭的価値が出てきてしまったのかということを考えたほうが答えが見えやすいのではないかということです。

そもそも、元来米作りが広まる前、女性は木の実を採取して、男性は狩りにでるという事をおこなってきました。弥生時代になると米作りがさかんになりました。これは中国から伝わってきた文化だったそうです。

お金という概念がまだまだ伝わっていなかったころの事を考えると、食べ物や文化と言うのは物々交換が主流でした。

それが時代が移り変わるに連れて、お金を間に介在させて食べ物を得るようになり、大きな身分の差まで生まれてしまいました。

この問題が発生してしまったのはもともと、人々が途中で分けることをやめてしまったことが原因だと私は思っています。

足りないものは補っていく

はじめこそ、互いの富を分配することでお互いの立場を対等にして協力することができていたのだと思います。しかし、それが誰かが富を独り占めしたり、または隣の芝生を羨んだりしたことによって、妬み僻みがでてきてしまい、価値基準が欲しくなり(価値基準となるものがないとそのものの価値がわからないという状況になってしまった。要は今の経済主流社会になってしまったきっかけとなる感覚の麻痺がここで起こったのではないか)、争いが生まれ、分け合うということができなくなったと私は考えます。

なんでも分け合えばあまるんじゃないの

分け合うためにはお互いが作り出していく必要性があります。

これはもちろん農業だけに限った話ではないでしょう。

今日の社会ならばそれこそあらゆる分野においてシェアできることはたくさんあります。そしてそれは年代によっても全く違うスキルになりますし、まさに今の社会において分け合うことをしないのはもったいなさすぎる!!!!

今の社会は作っている自覚の無い人々もいれば、自覚がありながらも結局上層部に搾取されて自分に十分な手取りが残らないというなんとも悲しい世の中。

だから「社畜」何という言葉が生まれるんでしょうし、「過労死」がはびこるわけです。誰かが背負いすぎたり、誰かが楽をしすぎたりするのはもうやめにしませんか??もうこんな社会少しづつでもいいので手放しましょう!

そう!!それはまさに公園のブランコだぁぁぁ

私は分け合える人を集めて、何か新しいことをやっていきたいです。

壊れた社会のバランスをもとに戻すための基準となる振り子をもう一度作り直して、大きくして、その振り子をみんなで支えていけるようになりたい!!と考えています。

そう!!公園のブランコプロジェクトです。(今即興で作りました。仮名称です。)

ブランコにのるのは子どもたち!

たくさんの子供達に安心して遊んでもらえるように骨組みになるのは私達自身。私達が壊れたらのっている子どもたちも危険です。今の社会はまさにオンボロブランコ。見た目こそもしかしたら美しく塗装されているかもしれませんがパイプの中身はスカスカで脆い作り。こどもたちはにこにこしているのに、ブランコがギイギイミシミシ…。

 

賛同してくださる人を随時募集してます。

どうか、興味のあるかた、協力してくださる方、是非連絡下さい!!

一緒に何か新しいことしませんか。

分け合える世の中にしていきませんか。

そして、ブランコ作りませんか。子どもたちが安心してのれるブランコ♪

一番は大人も一緒に楽しめるブランコを作ることです♪

みんなで楽しめる。安心できる。本当の価値を分かち合える。そんなブランコ♪

 

今日も読んでくださってありがとうございました。

また更新します\(^o^)/