原発事故で自主避難した私の生き方

福島からの自主避難者である「しすたー」の想いや考えを伝えます。

自分への思いは相手への思い

誰かと一緒に生きること


突然ですが、私は元々、どうせ、私なんて素敵な男性なんかと巡り会えないんだ、と決めつけてしまう傾向がありました。

自分自身のことを可愛いとも好きとも思えず、そういうものに惹かれながらも、自分にはそんな形容詞もったいないんじゃないかと思ってました。


これって、かなり自分のブランディング下げてるんですよね。実際当時の私は全然モテませんでしたし、肌荒れも酷かったです。自分にある意味厳しさを持っていてそれはそれで自分にコンスタントであったし、そのときがあったから今の私がいるとも言えると思います。

引き寄せの法則ってありますけど、自分を卑下するひとにはそれなりの人しかよってこないです。異性のみらず、これは人間関係全般何でも言えます。

自分への卑下がもたらしたもの

私は福島県伊達市に住んでました。でも、原発事故を境にして山形への一時避難、家族避難移住という経験をしました。合格した念願の福島の高校での生活も1ヶ月ほどで、山形の高校に編入試験を受けました。

その後の生活は本当に今までの自分とは考えられないほどの変わり果てたものとなりました。

大人という存在がだいっきらいになりました。信じられなくなりました。

怒りがこみ上げてきて、悲しみや憎しみに毎日毎日打ちひしがれて、いつの間にか泣くこともできなくなりました。

喜怒哀楽がわからなくなって、毎日空っぽでした。

それでも、たまにポロっと涙を流すときは決まってこう思ってました。

寂しい。誰か抱きしめてよ。愛してよ。

震災前から自己嫌悪が人一倍強かった私。
その分周りから認められることで、自分のことを律したり、認めたりしていました。自分で自分のことを赦すことが出来てなかったのです。

人は赦すことで人を愛します。
愛し続けることは赦し続けることです。

私にはその気持ちが足りていなかったのです。

そのせいで周りも自分もたくさん傷つけました。当時好きだった人も私から離れていきました。

それは因果応報だったとおもいます。
当時は悲しみに暮れ、気がおかしくなりそうでした。でも、今では申し訳ない気持ちと感謝の気持ちでいっぱいなのです。

どうして私は1人なのかと思ったら

結婚すればひとりにならずに済む。
結婚すれば相手はどこにもいくわけない。

こういう考えの基結婚を選ぶ人が増えているような気がします。

私は寂しいなと思います。
結婚は赦し続けることの難しさや喜びをを共に分かち合うことだとおもいます。

嫉妬したり、怒ったりすることもあるでしょう。でも、それは相手を本当に愛しているからではないでしょうか。

本能としてこの人を他の人にとられたくないという思いが働くのではないでしょうか。

一説によると、性病をうつされたりすることが無いようにするための正常な反応だとも言われています。

好きという気持ち、愛してるという気持ちは仮にも相手がどんな立場であっても変わらないものなのではないでしょうか。

結婚するとかしないとか…そんなのどうでもいいと言えるような関係を築けたら幸せだと個人的には感じています。

結婚しても孤独はつきまといます。
ただ、その孤独を持ち寄り互いに小さな幸せを積み重ねて生活していけたら本当に幸せだと私は思います。

もし、何故自分はひとりなのかと思ったらまずは自分自身のことを見つめ直すこと、そして相手を大切にすることは何なのかということを思い返すことだと思います。

自分への思いは相手への思いです…。

また更新します。