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原発事故で自主避難した私の生き方

福島からの自主避難者である「しすたー」の想いや考えを伝えます。

私が最近うんざりしていること・これからの方向性

今更

今更原発事故のいじめの話を持ち上げていったい何をしようというのだろうか。

既にケアの遅れが生じてしまった当時の子どもたちはもう高校生や大学生になっている場合もあるし、社会人になっている場合もある。

私もその1人だし。

結局この国は子供を守るということを真剣に考えてない。

 

大人同士で結局軋轢を生んで、差別をうんだ。

それを見ていた子供がただ真似事をしただけのはなし。

そもそも論をわざわざ持ち出さなければならないことにうんざりしている。

 

いじめが云々の話ではないのだ。

そもそも、なぜいじめが起きたのかということなのだから。

まず、避難者は悪くない。強いていうと現地に残っている人たちも悪くない。

それなのに、この国の人はそれを区別して、差別し始め、復興を進めようとする。

そこに住む人がいる限り復興しなければならないと勘違いしている人も多い。

私は汚染地での復興は意味が無いと思ってます。

見えないナイフがたくさんぶら下がっていて、何十年もしないと取れないという話になれば今復興させようとしても無理があります。

それにナイフ製作工場は未だ暴走していてどんどんナイフをあちこちにばらまく。

たとえ、ナイフを取るための作業にお金をかけても無駄な話で、そんなことをお構いなしに製作工場からはどんどんナイフがばらまかれていく。

意味ない。除染が必要なら出来る限り逃げて。それは間違いない。

 

次に、自主避難者は国に申請したとしても殆どと言っていいほどお金は入らないし、仮に弁護士を立てても無理があります。相手が国だから。何でも勝手に決めてやってしまうような民主主義なんてありもしない国が相手だから。

 

最後に、そもそも、本州の殆どの地域は汚染されている。

どの地域からでも避難してもおかしくはない状況。

自分の土地は大丈夫だとおもって魚や野菜等を氣にせずに食べ、子供にも与えているのは結局今回問題視されているいじめに加担していることとなんら変わらない。

 

 

放射能が危険だなんてふわふわ夢見がちなこと言っているんじゃない。

という人もいるみたいだが、そういうひとは是非廃炉作業に関わっていただきたい。

今小さい子どもたちが担うことのないように。

今の若者が担うことのないように。

 

この国の人、感情なさすぎ

確かに怒りや憎しみ、悲しみだけをぶつけても全く意味がないですし、そこから何かが生まれたとしてもまた悲しみや憎しみを生むだけです。

ただ、怒りや憎しみ、悲しみを原動力に愛の方向性を築いていくことは可能だと思います。

それは例えばアンパンマンかもしれないし、孫悟飯のような存在があげられるかと思います。

 

私にはこの国の人がのっぺらぼうなんじゃないかと思うことがよくあります。

ゾンビのように歩き回って政治が動くと右へ倣え。左へ倣え。

まるでみんなでスリラーでも踊ってるかのようにも見えます。

そんな狂気が溢れている中で「生きる」ということを真剣に考えている人ほど虐げられていく日本。

気持ち悪いですよ。

 

 

想像性と創造性

これをやれば救われるというのは無いです。

これからの時代は何か新しいものを作り出していく時代です。

それも根本的な部分からのテコ入れや再開発が必要な位のものです。

今までの既存のものを手放したり、改良したりしていくことが求められます。

 

よって、想像力と創造力が必要になります。

手段、方法はそれぞれ各々が違って善いと思います。

ひとりひとりが自立した上で支え合い、お互いに何かを生み出す関係性が必要であり、それをシェアしたり、相談したりする場が必要になります。

できることからやっていきましょう。

 

感情をシェアするのも大切ですが、一番大切なのは何ができるのかということをシェアすることだと思います。

 

ではまた更新します。