読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

私の話を聞いて下さい~原発事故を経験した私の生き方~

福島からの自主避難者である「しすたー」の想いや考えを伝えます。

私が思う依存・共依存・共存

日記 自己啓発

こんにちは。

最近ふとまた「依存」について考えることがあったのでまとめてみることにしました。

 

依存

 

ただただ貪ることだけを相手に求めるような関係性が依存だといえるだろう。

その人なしでは生きていけない。

そういう思いが生まれていたとすれば、それは依存かもしれない。

 

共依存

 

互いに貪ることしかしない。

または、片方が貪ることについて安易に許容しなんでも受け入れてしまう。

自分の境界線を持つことが出来ず、相手に依存されることで自分が必要とされているのではないかという錯覚に陥っている状況も共依存だといえる。

 

共存

 

お互いに与え合うことが出来る関係性。

相手のことを思いやり、互いに必要なものを与えあって新しいものを生み出すことが出来ればそれは共存といえるのではないか。

また、生み出す事が仮に難しくとも、互いに生きることにおいて支え合う事ができるかどうかということが重要だろう。

 

愛情と依存の履き違え

 

愛はただ相手に与える無償のものであると言えるでしょう。

相手に見返りをもとめたりすればそれは愛ではなくなってしまうでしょうし、

結婚指輪がもしも愛のカタチだとするならばそれはそれでますます滑稽です。

結婚はあくまでも契約であって、それを用いて相手を束縛してしまうのは本末転倒でしょう。

自分の寂しさを埋めるための恋愛は、ただ貪るだけのものですから依存になってしまうでしょう。

しかし、依存がだめということではないのです。

赤ちゃんの例えをよく目にしますが、

要はある意味絶対に必要であり、私たちは常に誰かに依存したい生き物なのだということでしょう。

それを相手がどのように受け止め、更にその関係性を発展させることが出来るかどうかということが重要なのだと思います。

 

依存なのか共依存なのか共存なのかは結局本人たちにしか分からない

当の本人たちがどういう関係性であるかは本人たちにしかわからないことなのだとおもいます。

ただ、片方が生きることを相手に任せ、それこそ自分をないがしろにするようなことがあればその関係性はあっという間に依存や共依存になってしまうでしょう。

しかし、たとえ片方がそうであっても、相手に対して無償の愛を注ぎ、自分の許容範囲内で生きていくことが選べるのであれば、それはそれで共存とは呼びにくいが、共依存のまま共に生活するということになるでしょう。

あくまでも私はそんな関係性御免だけど。

できればやはり互いに生み出す関係性に有りたいと思うし、そこにおいて互いの無理が生じないようなニュートラルな関係性を望みたいです。