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私の話を聞いて下さい

自主避難者である「しすたー」の想いや考えを伝えます。

私が食べて応援したくない理由

原発

突然ですが

私が食べて応援したくない理由は

  1. 内部被曝したくないから
  2. その作物を育てている人に逃げてほしいから
  3. その作物を食べることでお金が回ることが許せないから
  4. 人間を利用しているから
  5. 回り回って子どもたちに同じ被害が被るから

 

という5つが主な理由です。

 

1は説明せずともご理解いただけると思いますが、食べて応援することで誰かが被爆するという状況が発生します。放射能検査を行っているとしても、私は口にできないですし、確率的に考えても流れ弾が一秒に10飛んで来るのと、100飛んで来るような違いが実際にあるわけですから、それならたまがなるべく当たらない方を選びたいと思うのは当たり前の心情ではないでしょうか。

 

誰も死にたいと思って食べ物を食べる人なんていないと思いますし、できるだけ安心して食事をしたいと思っているはずです。

 

2は汚染地域の食べ物を食べるということはその人達に生産を続けるだけの意味を持たせてしまうことになります。もし、消費者がいるからこの土地から離れることができないと思っている農家さんやメーカーさんがいたらどう思いますか?私はそれを考えると、なるべく避けなければならないと思ってしまいます。消費者がいなければ生産の意味はなくなります。その土地にいる理由もなくなります。

 

・・・とはいえ、実際に消費者がいなくなって会社がなくなればその土地から離れられるかといえばおそらくそうではない人がほとんどなのだろうけれども。

 

それでも、汚染地域の食べ物を食べること、売ることによって汚染はどんどん広がっていきます。自分の身を守るだけではなく、他者の身を守るということにもつながっているのだということを視野に入れたいです。

 

3は本当にそのお金の動きが本当にその地域の人を笑顔にするのかということです。

よく考えて下さい。たとえお金が集まっても、放射性物質は消えないんですよ。

誰が得するんですか。

放射能の心配をして、毎日生産して、検査して、結果が来るのを待つなんて、心臓に悪い話だと思いませんか。(少なくとも私は耐えられないです。)

現地の人たちが本当に望んでいるのはなんでしょうか。

 

4についてですが、食べて応援は人間利用です。食べて応援していったい誰を助けているんですか。実際食べる側は、流れ弾に当たるリスクを負うわけですし、そのことによって生まれたお金は生産者や汚染地域に住む人に渡るのかといえばそうではない。

事故以来食べて応援はずっと行われてきましたが、そのことによってこの放射能の問題が解決されたという話はきいたことがありません。

 

5です。これは私が女だからということも大いに関係していますが、将来子供をうめるのかということについて私は真剣に悩んでいます。悩んでも仕方がないことなのですが、それでも不安になります。もしかしたら、一生独身かもしれないし、結婚しても子供については思いとどまるかもしれないです。

チェルノブイリの例を見ても、いま汚染地域で起こっている様々な健康被害は深刻なものだということがわかります。

食べて応援することで未来の自分の子供の健康が損なわれる可能性があるならばやはりなるべく避けたいと思うのはこれもまた生物としても当たり前の心情ではないでしょうか。

また、自分はもう、子供も産まないという年齢になっていてもそれは同様であって、汚染地域に住んでいる子どもたちが逃げられるようにするためにも食べて応援は避けなければならないと私は考えています。

なぜなら、子どもたちが逃げられない原因は親の仕事がそこにあるからなのですから。

そのお仕事を支援してしまっては子どもたちはいつまでたっても親の都合でにげることができないのです。

実際、そういう友人を私は持っています。

大人の都合によって子どもたちが犠牲になるというのはほんとうに悲しいことだと私は思います。

 

責任のありか探しより生き方探しのほうがいい

 

この問題はまず大前提として国と東電に責任があります。

その前提の上でですが、これは国民全員が抱える問題でもあります。

事故が起こった責任をとるのは国と東電です。

ただし、それをその後、意図的でもそうでなくとも助長させるような言動をした人は全て責任があると私は考えています。

もちろん、私自身も責任があるだろうと感じています。

なぜなら、知らず知らずのうちにどんなに氣を付けていても助長させるような事をしてしまっているかもしれないし、このブログ自体で誰かが傷ついているかもしれないからです。

 

ただ、私が感じているのは誰が責任を取るのかということよりも、

国も東電も国民も、皆が真実に目を向けて、本当にしなければならないことは何なのかということを真剣に話し合い、互いに支え合って、「生きる」ということにどれだけ向き合っていけるのかということだと思うのです。

このままだと、数年後には日本人は半数くらいになる可能性すらあると私は考えています。オーバーだと思うかもしれませんが。そうならないように祈ることしかできません。

ネガティブな事はつい具体的にイメージしがちなので現実化しやすくなりますから、なるべくポジティブなイメージを持つように努力はしています。

ただ、もう残された時間は長くはない気がしています。

日々、出来ることを必死にやるだけだなと思いつつ生活してます。

 

生きるという権利すら放棄してしまったら、終わりです。

 

生きることに真剣になってみませんか。

 

間に合うなら間に合わせたいじゃないですか。

 

やれるだけのことはやりましょう。

 

それしかないのですから。

 

また更新します。