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私の話を聞いて下さい~原発事故を経験した私の生き方~

福島からの自主避難者である「しすたー」の想いや考えを伝えます。

納得できていればそれでいい

私が体験したことは、価値のあることだと感じている。

 

こんばんは。

 今日は久々に震災・原発事故のことについて触れたい。

今、改めて振り返ってみるとキーワードになるようなことをまとめてみると

 

・友人たちとの別れ

・志望校での一ヶ月

・片思い(?)の人との関係

・家族との軋轢

・世の中の大人たちへの失望

・自分ってなんなんだ

 

殻に閉じこもった日々

高校三年間は本当に暗い暗い毎日でした。

ピークだった高校二年生の頃は自死を考えた。

理由はとても簡単で、

 

大人が許せなかった。

 

毎日が辛かった。

 

自分が大っ嫌いだった。

 

この3つが理由。

 

生きることにうんざりしてた。

家族とも震災のことや原発事故のことは触れてはならない事項として暗黙の了解のもと日々が過ぎていた。

私は本当は家族とよく話がしたかった。

もともと家族仲は悪くなかったのにあの日以降はめっきり家族で話して泣いたり怒ったり笑ったりということなどはなくなっていた。

 

私は感情がなくなったような日々を過ごした。

強いて言うなら怒りや悲しみといったものはあった。

でも、それもピーク時にはよくわからない感情になっていた。

空っぽってほんとにそういうことなんだなと。

 

しあわせになっていいんだ

 

私がピーク時に死なずに住んだのは北海道に住んでいるとある人の影響がとても大きかった。

その人は「生きる」ということを私に教えてくれた。

 

あの日から私は幸せになることを避けていた。

あれだけの辛いことがあってどうして幸せになどなれようかと。

 

高校二年のとにき誰かに話しをきいてほしくて始めたTwitter

たまたま、フォロワーさんの中には北海道の方がたくさんいた。

これも何かのご縁だと思っている。

 

私のつぶやきに耳を傾けて、いつしかたくさんの人がフォローしてくれていた。

 

私がそこで学んだことはたくさんあったが、

生きることの美しさに触れたような気がした。

 

逃げたからと言ってどうして虐げれれなくてはならないのか。

また、どうして自らを虐げることをしなければならないのか。

ということを真剣にかんがえるようになった。

 

逃げたことは何も悪いことではない。

「生きる」という権利を行使しただけのこと。

 

逃げなかったことも悪いことではない。

でも、それは悲しいことかもしれない。

 

逃げられなかったことも悪いことではない。

でも、それはかなしいことかもしれない。

 

強いていうと私は逃げた逃げなかったの比較をしたいわけではないのだ。

 

「生きる」ことにおいて「自分が」責任をとってその権利を行使出来たのか

が重要だと私は思うのだ。

 

自分が納得できていればそれでいいと思う。

ただ、その選んだ道において誰かを犠牲にしたりしてはならないと思うのだ。

 

私は自分が納得するために、両親ともちろん揉めて家を出た。

短大2年に上がる前だ。

 

北海道に1人で渡り、生活をすることを決めた。

 

もう二回目の冬を経験しているが、家を出てよかったと思っている。

もちろん今も苦しいことも多い。

でも、それでも私は「生きて」いる。

あの日以来、15の私が見失ったいろんなものを取り戻すのには時間がかかるし、その少女の心はそもそも戻ってくるのかも分からない。

 

でも、私は自分が納得できるように生きたいと日々を送っている。

 

今の私にできることをやるだけ。

無理のないように。

 

いつか、取材も受けてみたいし、本も出したいとは思ってる。

最近また新しい、夢とか目標とかもでてきた。

 

無理しないで、楽しく生きたい。

苦しい世の中、苦しい環境から逃げることは悪いことじゃない。

 

自分が心地良いように生きるだけ。

 

それだけ。

すごくシンプル。

 

少しでも痛みを感じる人が少なくなりますように。。。。

 

 

また、更新します。