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私の話を聞いて下さい

自主避難者である「しすたー」の想いや考えを伝えます。

ゆがんだ視線の持ち主誰だ

原発 避難

今日は福島民友の記事についてです。

 

生徒たちの視察に対し、インターネット上などで数多くの批判が上がった。被ばくを懸念する意見のほか、「東電が見せたい物を見るだけ。東電の安全PRに利用されるだけだ」「どういう意図的な発信をするつもりでマスコミを同行させたのか」と非難された。

 「生徒たちにとって、一定の覚悟を要する活動だった」と早野は振り返る。偏見に打ち勝とうと、廃炉の実情を知ろうとする若者たちの行為さえも「東電のためにやっているのでは」などとゆがんだ視線にさらされる。

 それでも、福島の若者を対象とした視察事業は広がりつつある。福島大は新年度から、第1原発視察を教育に取り入れる。事業を担当する准教授の高貝慶隆(40)は「東電だけの一方的な情報に偏らないよう、専門家など第三者を招いた講義を行い中立性を保ちたい」と話す。

以下リンクから引用

www.minyu-net.com

 

混同させるなと言いたい

まず、問題なのは子どもたちではない。子供に罪はない。

非難の矛先を間違っているひともいるかもしれないから、ここではっきりさせたいのだが、非難されるのは子どもたちではない。

 

あの事故のとき、真実を東電と一緒に隠したのは一体どこのマスコミだったのか。

避難することがまるで悪いことのように扱った。

心配することが悪いことのように扱った。

 

私だったら

私だったらあったことを全て話す。

本当のことを。今起こっていること、私達若者が今何を思うのか。

綺麗事なんて言わない。

安全だなんて思ってない。

 

人は差別するとき、同時に恐怖を覚えている。

見たくない。信じたくない。知りたくない。受け入れたくない。

 

不安になるのはアタリマエのこと。

 

だって、わからないことが多いのにもかかわらず。

 

福島に住んでいた当時15歳の少女はもう21になって、いま、北海道にいる。

子どもたちに大人のエゴを押し付けるのは辞めてほしい。

 

歪んでいるのはどっちだ。

 「生徒たちにとって、一定の覚悟を要する活動だった」と早野は振り返る。偏見に打ち勝とうと、廃炉の実情を知ろうとする若者たちの行為さえも「東電のためにやっているのでは」などとゆがんだ視線にさらされる。

 それでも、福島の若者を対象とした視察事業は広がりつつある。福島大は新年度から、第1原発視察を教育に取り入れる。事業を担当する准教授の高貝慶隆(40)は「東電だけの一方的な情報に偏らないよう、専門家など第三者を招いた講義を行い中立性を保ちたい」と話す。

 引き続きリンクより引用

 

そのゆがんだ視線というのは誰から見てゆがんでいるのだろうか。

被曝許容量なんてない。

その許容量に大幅にたっしてから病気になる人もいるし、

一方それよりも低い被曝量で病気になる人だっている。

 

一定の覚悟というのは彼らにとって必要な覚悟なのだろうか。

一体どんな覚悟を必要とされたのだろうか。

 

偏見に打ち勝つというのはどういうことだろうか。

なぜ偏見が生まれているのかということを考えなければならないと思う。

私は自身の経験をもっと発信しなければならないと思っている。

 

結局、子どもたちになにを言わせたいのか。

この事故は子どもたちを原発に向かわせることで何か解決するのか。

ここで問題視されている偏見がなくなるのか?

 

・・・それこそ何かずれている、ゆがんでいると感じるのは私だけなのか。。。

今の日本人にこれを問うのは何かまちがっているのかもしれないが。。。。