読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

私の話を聞いて下さい~原発事故を経験した私の生き方~

福島からの自主避難者である「しすたー」の想いや考えを伝えます。

311前夜の祈り 「死にたい私」と「生きたい私」の戦い

 明日は3月11日

私はあの日、中学校の卒業式の日だった。

 

自分の手記がてもとにある。

私はこれを『望郷』と名付けている。

 

私の手記は一時期ブログにも上げていて、よく見に来てくれている人たちがいた。

しかし、その手記を公開するのはやめてしまった。

 

誰もこんなものを見ても救われないと感じたからだ。

 

『望郷』は私の「戦い」の記録

 

私は最近ふと思ったことがある。それは、

自分の生死を真剣に考えたこともないような人間が、

本当に他人の生死について真剣に考えたことなど無いのではないかということだ。

 

自分のことに真剣になれない人がどうして人のことを助けられるのだろうかと。

 

それを思った時にふと、『望郷』の意味を私はようやく理解した気がした。

 

『望郷』は「死にたい私」と「生きたい私」の戦いの記録。

 

私は何と戦ったのか

 

「何で、福島のものを避けるんだ。」

「どうして逃げてきたんだ。」

「どうせ、そんなの無意味だ。」

放射能の話は辞めて。」

「政府が安全だって言ってる。だから安全。」

 

私から言うと風評被害と言うのはこういうたぐいのものだ。

現実を受け止めきれてない人。

自分のことも受け止めきれないから相手のことも受け入れられないのだと思う。

生きること自体を他人に任せているのかもしれない。

 

逃げてきたにせよ、そうでないにせよ、

両方の苦しみを理解しているひとは多い。

 

私は避難者とそうでない人が区別されたことによって、

軋轢が生まれてしまったことが本当に悲しかった。

 

私は友人にも何も言えなかったし、友人も何も言ってこなかった。

今もなお、幼い頃からの沢山の友達とは連絡が取れていない。

 

枝野は言った

「直ちに影響はありません。」と。

山下は言った

「笑っている人には放射能はきません。」と。

 

でも、

甲状腺がんは増えたし、

放射能は笑っている人にも蓄積していた。

 

SEO対策すらしてしまえば変な話検索してトップに出てくるものの順番も優位に変えられる時代なのに。何が正しいかを検索して、一番上しか見ないことも多いのかもしれない。

 

何が怖いって。

この国では危ないって事を言えないということ。

正しいことを教えてくれないということ。

隠し事を平気でするということ。

 

私はそれを15の時に知って、悲しくなった。

 

結局何がいいたいのか

 

真実と現実は非常にかけ離れていて、それでいて密接な関係がある。

逆説的なのだ。

 

そこには危険な放射能があって、本当は逃げなければならないという真実があるのに

様々な理由からそこに残っている人がいるという現実がある。

 

真実と現実どちらかしかみえていなければ

見えていない側については「差別」や「風評」になりえるのだろう。

とてもむなしい話だけれども、いま日本はそういう国。

 

自主避難者も大変ですねとさっきまで言っていた口が、

放射能を気にするなんて風評だなんてよく言えるよなと思う。

 

皆、どうして生きる方向に向かないのだろう。

いつになったらこの苦しみは消えるのかなとおもいつつ、

今日も私は「生きる」ことを選ぶ。

 

「死にたい私」と向き合い受け入れることが出来たから、

こうして「生きたい私」選べている。

 

支えてくださった多くの人に感謝が尽きない。

ありがとうございます。

 

津波で流された方、亡くなってしまった方、

自殺してしまった知り合い、

友人たち、家族。

そして日本のすべての人。

 

思いが届きますように。。。