原発事故で自主避難した私の生き方

福島からの自主避難者である「しすたー」の想いや考えを伝えます。

心と霊魂の関係性

心と魂の違い

おはようございます。

メンタルがおちていていましたが、この数日で本当にすてきなこと、嬉しいことがあって、だいぶメンタルが落ち着きました。

心配してくださった方、ありがとうございます。

もう、大丈夫です。

 

 

今日は心と魂の関係性について書いていきたいなと思いました。

というのも、震災後、絆という言葉を耳にして、

私は非常に違和感を感じていました。

 

芸能人たちが心からの歌として、

花は咲くという歌を歌って、全国に広まりました。

しかし、私には絆も、花は咲くも違和感だらけでした。

 

おそらく、その根本にあるものは共通だと思っていて、

絆も花は咲くも、魂の声を無視した形だということです。

 

 

私は今年の311は涙が出ず、

当日は悲しみを根底にした、怒りや憎しみ、諦めと言うものを感じ取っていました。

それはさまざまなところにある魂が日本に対してむけた感情(感情といっていいのかわからないけど、これしかあてはまるような言葉が見つからない)でした。

数日後にその漂う癒やされない魂に本当に悲しさと虚しさを感じました。

 

絆という言葉は表面上美しく見えます。

しかし、どうでしょう。

あの日からほんとうにこの国は絆を大切にしてきたといえるでしょうか。

繕いだけで、本当のつながりが薄く、

とても無神経なものに感じられたのは私だけでしょうか。

 

あの絆という言葉は心の絆という意味だったのだと、

今は理解しています。

魂の絆ということではなかったのです。

 

私は過去に何回か投稿していますが、

すべての物事は木に例えることができます。

 

この国を変えるには枝葉の色をかえるだけではなんの意味も無いのです。

この国にとって枝葉というのは憲法や法律のことを指していますが、

その国のシステムをどのようにどの内閣総理大臣が変えたとしても、

全く意味は無いのです。

 

変えなければならないのは足元にある根。

根本がかわらなければこの木の病気は治らないのです。

無理に科学的な肥料を与えればその時はいいかもしれませんが、

後から副作用が出てしまいます。

しかし、水を与えすぎても根腐れしてしまいますし、

乾きすぎてもやはり枯れてしまいます。

適切な方法でその根に長く寄り添って手当をしていかなければ、

本当に治らないのです。

 

これは私達の霊魂にも同じことがいえます。

霊魂れいこん、英:SoulもしくはSpirit)は、肉体とは別に精神的実体として存在すると考えられるもの[1]。肉体から離れたり、死後も存続することが可能と考えられている、体とは別にそれだけで一つの実体をもつとされる、非物質的な存在のこと[2]人間が生きている間はその体内にあって、生命精神の原動力となっている存在[2]人格的・非物質的な存在[3]。個人の肉体や精神をつかさどる人格的存在で、感覚による認識を超えた永遠の存在[4]

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9C%8A%E9%AD%82

 

 本当に霊魂が癒やされることがなければ私たちは何も変わることが無いのです。

元来生まれた時の美しい霊魂は本当に自然の美しさそのものです。

 

しかし、それが人間の世界ではどんどん霊魂の質が低くなってしまい、

本来持っている姿が見えなくなってしまうのです。

これは本当に私にとっては悲しいことで、辛いことです。

 

霊魂の癒やし

霊魂の癒やしが不足しているのだと思います。

特にこの国では。

 

愛は赦しです。

この国に足りない癒やしを与えるのは愛です。

赦しがすなわち足りていないのです。

 

震災や原発事故で亡くなった方の霊もしかり、

生きている人の霊も然り、

様々な神々も然り、

怒りを露わにしています。

 

私に今できることは祈ることしかできません。

 

ただ、これからもっと様々な気持ちで何かを伝えることができるようになるということも自覚しています。

 

導きを信じて歩んでいきたいです。

 

私の光を感じてくれた方、信じてくれた方、助けてくれた方、

今まで本当にありがとうございます。

もう少しで恩返しができる準備が整うと思います。

 

その時その時できることを、

その日その日にできることを一生懸命に。

命の重さを受け止めて、

愛の深さを感じて今日も生活したいと思います。