原発事故で自主避難した私の生き方

福島からの自主避難者である「しすたー」の想いや考えを伝えます。

信じること

理解すること


こんにちは。
今日ふと感じたのは
あー…ひとりになるって孤独だよなぁ…
と言うことです。

本当の意味で自分を理解して、
何があっても支える覚悟を持った人と巡り会う確率ってどのくらいの確率なのでしょうか。

傷ついて、人を信じられなくなった人が、
そう簡単に人を信じられるようになるのかなぁと。同じような過去をもっていて、お互いに違う場所でちがう道を歩みつつも、似たように傷ついてしまっている。

つらいこともたくさんあって、
人を信じられなくても、
目の前で起こってること、
見えていることはすべて事実で…。
現実を受け入れないと前に進めなくて…
逆境が多くて、どうしたらいいのかわからなくなって…。不安になって…。

いろんな社会の物事含めて、
今、この国はそういう状況に置かれています。

どうしたら人を信じられるのか


どうしたらいいのか、、、
どうしたら、ほんとうにその人を信じられるのか…自分を信じることができるのか…。

自分の中で間違いのない信念のようなものが必要なのでしょうか。

その人が本当に素直で正直な人であるから、
その人は沢山傷ついてきたのかもしれない。

その人を信じるためにはその人の生きてきた背景を知る必要があると思います。そして、その人の生き方や考え方を学ぶ必要があります。

その人を信じるか信じないかは、
その人次第なのだろうなとおもいます。

結局理解できるかできないかがすべてなのだろうなと。


自分の知らない次元を生きている人のことは信じられない。それこそ、これは例えば放射能のことも見えないから、理解できないからと言って信じないということとほぼ同じです。

理解することは信じることに繋がる

これはまだanswerとは言いにくいです。
ただ、信じることで生きる道が開かれるということは十分にありえますよね。

また、相手や、その事象、背景を理解することによって、信頼が生まれ、信じることができるようになります。

これは数日で達成できるようなことではないでしょう。

しかし、信じ続けるために、私たちは目をそらしてはいけないのだろうなと思うのです。すべての事象についてこれは言えることです。

本当に愛し合える人ができたとするなら、
きっとお互い、理解し合えるひとでしょうし、生み出すことも、導くことも、導かれることも可能な関係だといえるでしょう。

待つこともまた試練


信じることができるから、
待つことができる。

疑っても、やっぱり信じたいと思える。

その気持ちが大切だし、美しいと私は思います。人としての気持ちは大事にしたいです。

また、更新します。