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原発事故で自主避難した私の生き方

福島からの自主避難者である「しすたー」の想いや考えを伝えます。

自分の過去の日記を見て 自分への手紙

長文

おはようございます。

昨晩、自分の過去の日記を読んでいました。

中学生の時からの日記があるので、それを含めてあの日からの日記も合わせて読みました。

 

気がついたのは、

私ってもともと自信ない子だったんだなということです。

自分に甘いって思っていて、もっと厳しくしなくちゃって思ってたみたいです。

 

長文になります。

でも最後の最後に大切なお知らせがあるので是非読んでいただきたいです。

 

今の私が私に言いたいこと。伝えたいこと。

 

別に勉強ができることが全てじゃないよ。

もちろん、夢があって、そのために頑張ってるのは分かる。

でも、無理しないっていうこととか、

失敗を恐れずに頑張るための前向きさみたいなものを習得できたらいいんじゃないかなって思うよ。

 

生きることってなんだろうって一生懸命に考えてて凄いなと思うよ。

生きることってね、信じることなんだよ。

自分の内なる力もそうだし、世の中を作った大いなる力を信じることなんだよ。

 

愛することだよ。

この世に生まれ落ちてきたのは体をもって、

愛することの素晴らしさを享受するためでもあると私は思うんだよ。

 

愛されることの素晴らしさでもあるね。

 

でも、それにしがみつくのは違うんだ。

 

失いたくない、自分だけのものにしたいっていう気持がたくさんあふれるときってあるんだよ。それは恋人だけじゃない。お金だって、権力だって、成績だって、なんだってそうだよ。故郷だってそうだ。

 

失いたくない。ずっと自分だけのものにしていたいって思っちゃうんだよね。

私だけを愛してほしいとかさ。

私だけが愛するみたいなね。

 

でもね、それってすごく制限のある愛なんだ。

もちろんそれも必要なときもある。

それが気持ちが良かったりするからね。

「自分だけのものにできた」「守り抜いた」

みたいな征服感みたいなものが出るんだろうね。

 

でも、本当に大事なのはそこじゃないんだよね。

分け合えば余るんだ。

与えることが必要なんだよ。

貪って、奪うことしか考えられなくなったり、執着してしがみついたりしてしまうんだ。それってすごく盲目的なんだよ。

 

例えばね、2011年3月11日には大変なことが起こったんだ。

大震災と原発事故。びっくりしちゃうよね。

たまたまさ、日記が3月9日で一旦止まってるでしょ。

数ヶ月前に私は異変に気がついてたね。

なんか腑に落ちないって。

志望校が一歩先に決まって、落ち着いたはずなのになんかあるって日記に書いてたもんね。3月8日にもとうとう、なんか変って日記に残してるし。

うん。正解。さすが勘が鋭いね。

 

それをきっかけにしてね、福島から逃げるっていう選択をする人と、そうでない人がでてくるんだ。

 

執着してしまって、いろんな社会的しがらみとか、常識とかにとらわれてしまっていた人たちは残ってしまうことになるんだ。

 

うちはね逃げる側になる。

 

それで私はすごく気負いすることになるんだ。

 

ごめんね。ショックだよね。

ぎゅー・・・・・。本当にごめん。

辛いよね。

というか、辛かったよね。

 

でもね、、、

これはやっぱり試練だったんだって思うんだよ。

すごく重い試練だと思う。

人の生死に関わるし、人生が変わる転機になったんだ。

 

当時、彼がふとメールで

神は乗り越えられる人にこそ試練をあたえます。

って書いたでしょ。

 

あれね、本当だった。

 

乗り越えられるかどうかを判断したかったんじゃないかな。

すべての人に対しての試練だね。

人間に対するというより、すべてのものに対する試練だね。

 

そういうたぐいの試練だったんだ。

これを人間の体をもって体験したことは非常に大きかったと思う。

 

人の黒いところがたくさん見えたんだよ。

そういう黒いところがあるなっていうのは中学生の時から知ってたよね。

それこそ、小学生の時からかな?

でも、やっぱり、大人は絶対だって思ってたよね。親も。

知らないうちにしたがって当たり前、神聖視みたいなことになってたよね。

疑問に思いながらも腑に落ちなかった。

自分の人生を生きているのに、なんか腑に落ちないっていう気持だったんだと思う。

 

これはね、日本の教育も良くない。

本当のことを教えてくれていなかったんだ。

本当のこともあるけど、嘘もたくさんついてたんだ。

ある意味人間らしいと言えば人間らしいのかもしれない。

アダムとイヴだよね。

本当はね、本来は神様はこういう人を望んだわけではなかった。

悔いていたんだよね。だから、ノアの箱舟の下りになるんだけどね。

 

人間はたくさんの知恵を身につけることによってその本来の人間性を失ってしまったんだとも言える。本当に正しく、必要なことだけの知識ならいいんだけどね。そうではないみたいなんだよね。

 

常識ってそのくらい私達のことを侵しているんだよ。

辛いね。だって子供はそれを望んでいるわけではないんだよ。

自分から常識知りたい!と思って生まれてきた子なんていないんだから。

 

最近気がついたんだけどね、

自信を持つことって、自分を信じることなわけだけど、

直感で生きる、感覚で生きるっていうことなんだよね。

自分のfeelingを信じることなんだ。

 

信じることってそういうことなんだよね。

 

別に苦行することが大切なんじゃないんだ。

いや、たとえばね、自分の直感的に選んだ道が苦行の道ってことはあるかもしれない。

でも、それって選んだのは間違いなく自分だ!!って言えるでしょ。

だから、あんまり辛いって思わないんだよね。思っても、自分で選んだし、納得してる。って言えるんだわ。不思議だよね。

でもね、

なんとなくこれなんだけどさ、お金がないよ。とか、

なんとなくこれなんだけどさ、仕事にならんよ。とか。

けどさ・・・の後が要は理屈ってやつかな。

 

そうじゃなくて、自分がこれだ!!って思うことをやってみて、

失敗したら、また、その時は考えればいいし、

成功したら、そのまま乗っかればいよ。

 

直感的にだから選択ミスってこともたまにはあるんだ(^_^;)

でもね、厳密に言うと選択ミスではないんだな。

直感に従って選んだものには全て意味がある。

ちゃんと必要な学びがあるんだ。

直感でなくて理屈で選んだ場合ももちろん学びもあるんだけど、

それはやっぱり限りある学びになりやすいんだ。

 

直感に従って生きること。

真理に従って生きるってそういうことだと思うんだよ。

だから、運も実力の内って言うでしょ?

正にそういう概念だよね。

 

あ、勉強したほうがいいなって思った時にやったほうがいいんだよ。

今はこれやったほうがいいなっていうことに従ったほうがいいことあるんだわ。

いいことというか学びがあるって言えばいいかな。

 

迷ったらね、それをしたいのかしたくないのかで考えてみるのもいいかもしれない。

 

そうするとね不思議とすんなーりと答えが出る時あるんだよ笑

 

だから、大丈夫。

自分をあんまり厳しくしようって思わなくていいんだ。

でも例えば、直感的に「片付けたほうがいいかな?」と思ったのに、

「でも、面倒くさいしなー」「でも、時間無いしなー」っていうのは次元が一気に低くなっちゃうんだわ。

 

直感は4次元かな。インスピレーションだからね。創造的なことなんだよね。

「でも、だけど」っていうところは3次元の現実的なお話。要は常識臭いこと笑

 

もっとね、感覚的になっていいよ。

人はそれをいい加減なやつだとか、ふわふわしてるっていうかもしれないけど、

そうじゃないんだわ。

 

必要なことなんだ。

 

あの日の後私が3年間経験してきた時間は非常にふわふわしていたんだ。

母親にも指摘された。悪い意味でね。

だから余計に傷ついちゃったよね。

かわいそうに。。。

母親は現実にとらわれがあるひとかな。

でも、宗教も一応触れているね。

不思議だけど、多分、自分もふわふわしてるところがあるから余計に自分を見ているようで嫌になったのかもしれないよね。囚われを拭いきれないから、そこに安住することを望んでしまっている。それでいい。って思ってしまっているからね。

 

話をもどすと、ふわふわしていた自分をもっと自分で肯定出来たら良かったね。

でもそれって難しかったよね。

当たり前なんだ。ペースが早すぎたよね。急展開しすぎて、びっくりしちゃって魂と心と体が乖離しちゃったよね。

 

時間差が生まれてしまったんだ。

だから、当時の私はすごく過去にもどりたかったんだよね。

苦しいから。

時間差を埋めるためには見えない未来より、見えてる過去に生きたかった。

当たり前の感情だね。

でもそれは心の声だよね。

魂的には次の次元に飛んでたから、ふわふわしてたんだろうね。

 

辛かったね。。。。

 

でも、神様も流石に見てられなかったのかもしれないよね。

人が傲慢に満ちてしまっていたから。

気がついてほしかったのかもしれない。

 

ゆっくりでいいんだっておもって、高校の途中から気持を入れ替えた時があったよね。

あのへんで変わりだしたんだよ。

砂時計がゆっくりとまた落ち始めて、乖離がもどろうとし始めた。

 

でも、心が過去にとどまろうとしちゃってしがみついたりしたこともあったね。

 

だから、浮き沈みもあのころピークで、心療内科にも行ったね。

あれは辛かった。

 

でも必要な過程だったんだ。

 

それから、愛についてね。

愛は信仰心だよ。

神に対しての信仰心と同じ。

無償の愛なんだよ。

本当に美しいよ。

とても静かで熱い愛と言えばいいかな。

 

祈りを捧げるんだ。本当に。

ずっと幼い頃からやってきたことでもあるよね。

それをすべての人に向けるんだ。

 

全ての囚われをなくしてね。

 

難しいよ。

 

私が必死に探した答えだよ。

ちゃんと見つかった。

ありがとう。

辛かったね。

 

失うものもたくさんあったし、戸惑って過ちも犯したね。

つらかったよね。

乖離があったから余計に辛かったと思うんだ。

 

体と心と魂がバラバラで、時間差があったり、泣いたり、喚いたり、苦しんだり、

たくさんのことがあったね。

 

でも、それも、必要なことなんだ。

もう、ほとんど無くなるよ。

 

大丈夫。もう、1人じゃないよ。ずっとそばに居てくれる存在に気がついたんだから。

 

もう誰かに依存する必要もない。

 

よかったね。

一通り、終わったよ。

 

心配なことはあるかな?

これでよかったのか?もちろんだよ。よかったんだよ。

震災があって、原発事故があってよかったって意味じゃないよ。

そうじゃなくて、自分が歩んできた道はそれでよかったんだよ。

早かったほうだよ。よく、死なずにこれたね。

偉いよ。本当に。これからはもっと自分のこと信じようね。大丈夫だから。

 

後はもう、心配いらない。

自分の道を歩もう。

 

時間差はなくなったはずだよ。

まだ、なれるのに時間がかかるかもしれないけど、

自分の直感を信じよう。もう、私は過去の私ではないんだ。

 

あのね、

震災と原発事故後のいろんな写真家の写真を見たんだけどね、

全てが流されてしまっても、

汚染されてしまっても、

緑は、命はまた生まれるんだ。

その美しさというか強さがそこにはあるんだよ。

だからね、不謹慎かもしれないけど、

私はその写真を見て感動してしまったんだ。

美しかったんだ。

 

ジブリもののけ姫ナウシカのラストシーンを彷彿させるよね。

人が犯してきた過ちを再生するかのように、

そんなことにも屈しないほどに美しく強く、しなやかに生きようとしている。

守りたいし、愛したいって思えるんだよね。

生きとし生けるものをね。

私に何ができるかなと思うんだよ。

農業だけが全てじゃないってことも知ったしね。

やり方は色々あるんだわ。

その手始めのことをとうとう私ははじめたわけだよね。

自分を愛するためのことがめぐりめぐって誰かにわたって愛がつながっていくように。

そういうメッセージを伝えたいって思うんだよね。

 

大丈夫、ようやくだけど学び取れたよ。

前に進めそうだ。

一緒に生きようね。生きててくれて、本当にありがとう。

 

 

p,s

 

読者の皆様へ

先日、ネット上でお店をはじめました。

ふぃーりんぐCATというお店です。

右側にリンクをはっています。

一応下にも載せます。

 

長らく、トンネルの中にいましたが、自分の生き方が分かって、

ようやく前に踏み出すことができます。

 

皆さんのおかげです。

本当にありがとうございます。

 

是非、今後ともよろしくお願いいたします。

 

feelingcat.thebase.in

 

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