原発事故で自主避難した私の生き方

福島からの自主避難者である「しすたー」の想いや考えを伝えます。

保養を終えて

保養から帰宅

 

涙の別れをして、帰路につきました。

今回の保養は私にとってかなり大きな成長に繋がったなと感じています。

 

保養に来る子どもたちと会うのが怖い

 

私にとって今回の保養はチャレンジでした。

住んでいる場所、生活環境が危険だと認知している母子と会うことで

私の胸が傷むのではないかと思っていたからです。

今回の保養の手伝いの参加を決めたのは、

真実から目をそむけたくないという思いもあったし、

何よりもタイミングがきたという感じでした。

 

自分の内面と向き合うという覚悟が出来たからこそ、

今回の保養にチャレンジできたのだと思います。

 

保養三日目に涙

私は今回の保養の3日目に既に涙。

理由は夜の夢に原発事故の時に福島に置いてきた大切な人が現れて、

一緒に楽しい時間を過ごしたからでした。

 

それは本当に楽しく、私の夢を叶えてくれた夢でした。

 

保養の二日目には子どもたちの笑顔が見れ、

素直な感情を表に出している様子や、

母親に甘える姿をみて、幼き頃の自分をそこに投影していました。

 

私は親から「良い子」として育てられてきました。

様々な抑圧を受けてきたこともあり、

今回、保養に来た母子の姿は私にとってかなり衝撃的なものでした。

愛に溢れていて、なんて素直で美しいのだろうかと感じました。

 

私も幼いころもっと素直に生活したかった。感情を吐露したかった。

と、感じると同時に、

震災と原発事故があった時に家族からも孤立し、孤独を味わった「愛情不足」の感覚がフラッシュバックしてしまったのです。

 

おとなになってしまった私。

でも、それでも、心の中はカタカタ震えていて、

インナーチャイルドが癒やしを求めているのがはっきりと分かりました。

腑に落ちたといったほうが正しいでしょう。

 

私は、自分を抱えて泣きました。

信頼できる人に電話をしたり、メッセをしたりして、

泣きました。

 

人には変えられない運命というか宿命のようなものがあります。

それをどのように乗り越えるのかということが本当に難しい。

 

私は、寂しさに震える自分をそっと労るように、

抱きしめて、苦しさを味わいました。

 

誰かの胸に逃げたかったし、

誰かに甘えたい感情もあった。

 

でも人ってそこを乗り越える必要があって、

そのもう逃げたい!っていう感情を感じきることも必要なんだと理解しました。

 

毎日楽しく遊ぶ子どもたち。

無垢な笑顔。

頬をすり寄せ、体を寄せ合ってくる子どもたち。

なんて愛にあふれているのでしょう。

素直な瞳で見つめてくる子どもたち。

 

どうしてこの子どもたちの前で嘘をつけるのでしょうか。

どうして大人たちは放射能という負の財産を残したのでしょうか。

私は感動や喜びもありながらも、悔しさや虚しさも感じていました。

それは今も同じです。

子どもたちがまた家に帰って、学校生活を送る。

お母さんたちの苦労も減らないし、頑張り続ける毎日が続く。

本当になんということをこの国はしたのでしょうか。

本当に私は哀しい。

 

使命

私は今回の保養で自分の使命にも気がつくことができました。

 

それは

自分の経験を多くの人に伝えるということです。

自分が福島で、山形で、そして札幌で経験したことを多くの人に伝えるということです。

 

一人でも多くの若者と繋がって、

生き方の勉強を一緒にしていきたいのです。

そして、

これからの日本、世界を「生きる覚悟」を共に持ち、

土を踏みしめて生きるということを模索したいなと思うのです。

 

自分たちの未来を守るため。

そして、

未来の生まれ来る子どもたちに本当に良いものを残して、

伝えていくことが大切だと思うのです。

 

ここにはまだ言葉に出来ず書ききれないこともありますが、

本当に今回の保養では沢山の事を学ばせてもらいました。

 

ありがとう。

本当に、ありがとう。

 

私は私のできることを全力でやっていくよ。

 

生きる権利を守る為に。

 

本当にありがとう。