原発事故で自主避難した私の生き方

福島からの自主避難者である「しすたー」の想いや考えを伝えます。

自殺率と精神病を考えてみた

精神病

うつ病はじめとする精神病において、心の問題はその人自身の問題であって他の誰にも解決することはできない。生きることを自分以外の人に任せている(自分軸が他人にある人、他人の欲求を満たすことによって自己満足し、自己肯定しているなど)場合に精神病は治らない。

ただ、今の社会、教育のシステム自体が精神病じみているし、みなその被害者だといえる。しかし、同時に大人になれば加害者にもなる。

ジレンマ。

解決したくとも、環境が整わないことによる苛立ちを感じている人がとても多いと思う。

 

若年層自殺率

年々若年層の自殺率があがっている。上の世代が自分が被害者であり加害者であるかということを無視してきた証拠だと私は思う。

気がついていても、
どうせ自分には変えられない
というネガティブな連鎖が
子供の希望を奪ってきた。

この話は植松さんがしている話と同じだと私は考えている。

とはいえ、上の世代が、社会が、教育が、と言っているだけではなにも変わらずやはり実践していくしかないのだと思う。

そのとき、その人、立場、状況によって出来ること、実践できることは違うと思う。そして、そもそも、やりたいこと、やりたくないことも異なる。

 

いきる覚悟

自分はどう生きていくか
どんどんやっていかないと、
罪のないこどもたちが
どんどん傷ついて、自殺していく。
心の病気になって、薬漬けにされていく。

もう、そんな連鎖辞めませんか。
やりたいことできることをお互いに模索しあって、世の中を本当の意味で豊かにしませんか?

年長者には年長者の知恵がある。
だから私は上の世代に教えてほしいことがたくさんある。
間違ってきたことも、やってよかったことも。

低次元のいいあいはやめて、
生み出す関係性でありたい。

 

環境が変わるのを待っていたらおばあちゃんになってしまうので、自分で変えようと思う。そのエネルギーがある人が先ずは先にどんどんやればいいと思う。

 

そこに周りがジョインしてくれたら万々歳だし。

 

 

好きなことで起業する方法をまとめてみた

好きなことで食べていく

f:id:nostalgia311:20180521111358j:plain



今日は久々に時事ネタは書かず、好きなことで起業する(ライスワーク)にする方法について書いてみようと思います。私なりにまだ解決できていない問題や、うまくいっていないことも多々ありますが、それはおいおい何とかなると確信しているので、とりあえず、今の段階でわかっていることを中心にして書こうと思います。

 

まず、好きなことで食べていくためにはまず、そもそも、好きなことって何だっけということを考えます。そのあと、自分が何をしたいのかということを明確にする必要があります。

 

例えば、

文章を書くことが好き、

物を作るのが好き、

人と話すことが好き、

健康のことを実践するのが好き、

スピリチュアルなことが好き、

好きなこととをあげていきます。

 

私は本来、あまり、外に出かけて行って、社会のシステムに飲み込まれながら仕事をするということが好きではありません。

どうしても外に出なければならないという時には外に行きますが、何か自分の目的や楽しいことがなければ極力外にはいきたくない人間です。

 

 自分がしたいことは目的なのか手段なのか

f:id:nostalgia311:20171213211030j:plain

好きなことをして暮らしていくことが目的なのか、それとも、好きなことをして暮らしていくことが目的を達成するための手段になるのかということを確認するということです。

 

私の場合は目的があります。

それは、癒されて、楽しく、幸せに暮らして、愛と対話と平和を広め、叶えて暮らしていくということです。ここにはしいて言うと、主語はありません。

もはや、地球、宇宙レベルにまで癒したいと思っています。

そうでないと、私たちの先の先の先の先の子孫がこのままではつらい世界に生きていくことになるということを感じるからです。

 

目的、目標、夢は大きいですがこれらを実現するために、私ができることをやっていきます。

 

それが「手段」になります。目的を達成するためならば手段は択ばない。

ただ、その手段が私がやりたくないことだとしたら、長く続くわけもありませんし、実際にその目的を達成する前に撃沈してしまうでしょう。

 

できるだけ多くの人に、「生きる」覚悟を伝えるためにはどうしたらいいのか。

私なりにしてみたいことと、先ほど挙げた好きなことを練り合わせていきます。

そうすると、なんとも楽しいプランが浮かんできます。

このおもわず、ニヤッとしてしまうようなプランこそ、成功のカギになります。

 

その手段が例えば、お店を持つこと、であったりするならば、

物件が必要であり、その物件を手にするには金銭が必要になります。

もちろん、金銭を必要とせずに、物件が手に入ることもまれにあります。

残念なことに金がないと始まらないことが多い世の中。

もちろん、お金がなくとも始められることもたくさんあるのですが。

お金がないと暮らしていけないというこの社会システムももう少しで変わるような気もします。というより、変えていきたいなと私は思っています。

 

お金、地位、権力・・・悪なのか?

豊かさ

今の世の中では権威、権力、金、地位といったものを持つものはまるで悪者のように扱われがちです。私も数年前はとくにそのように感じていました。

 

しかし、よくよく考えてみれば、それらを所有しているひとが皆悪者かといったらそうではないのです。

 

鶏か卵かという話にもつながりますが、私たちはそもそも、どこから始まったのか、いきなり、人がどーんと現れるということはあり得ないわけです。

では、卵?でもそれは人がいないとできないもの?

あれれ、おかしいな。

うーん。

 

お金があるから、地位や権力というものがあるから、

悪い人になる?

悪い世の中になる?

そういうわけではないのです。

 

それらを本当に持つべき人が持てばいいし、それらを有効に活用できる人たちが世の中を変えていけばよいと私は考えています。

世の中を操りたいと思っている一握りの人間(世の中のお金の九割を所有しているといわれている人たち)が、結局のところ、何を恐れているのかというと、自分たちのお金、地位、権力、がなくなることで、身ぐるみはがされて、何もなくなった時に、何にも自分になど価値がないという思考になるのです。自分など、生きていけない。と。

それは、こころの貧しさなのです。

お金、地位、権力をふるい、それらで生きとし生けるもの、地球、宇宙を脅かしている人間は、自分の存在意義を、自分以外のところに求めています。

 

なんとも悲しい現状です。

そして、これは今の社会で生きる私たち自身もそういった傾向になりやすい状況に置かれているのです。

 

何もなくなって、余裕がなくなり、自分の存在意義を見失う。

それは自分のなかにある恐れの塊なのです。

 

やりたいことを知る

楽しく生きる

自分以外のところに、自分の軸がある。

私もそうでした。

一時期はそれでよかった。

でも、その自分以外の何かがなくなったとき、軸を預けていた存在がなくなったとき、私だけが残る。

それで本当に良いのでしょうか。

 

自分がこうしたい。

こう生きたい。

という願いを叶える。

 

それはほかの誰かがやってくれることではありません。

自分の力で生きていく。

本当の意味で生きていく。

自分の軸を自分に置く。

それこそ、正に、生きる覚悟なのだと私は思います。

そして、その軸をもとにして、起業すれば、(生きていけば)、自殺という悲しい道を選ぶこともありませんし、自分の周りに必ず、人が集まってきます。

私はこうしたい。

こう生きたいんだ。

という私の願い。

そのかけがえのない、願いを叶えてください。

 

私は、私がいやされる場所で生きていたいし、

嫌なことはやりたくない。

 

それをわがままだという人もいる。

でも、その人たちはきっと、自分のやりたいことができなかったことを僻んでるだけ。

もう、やりたいように生きていい。

そのくらい、自分に本当は自信をもっていい。

だってできる。ほとんどのことは。自分が自分を信じる。

ただそれだけ。

失敗してもいい。

あーやり方間違ったな。反省。

といって、反省すればいい。

それだけ。

 

自分がやりたいようにといって、誰かを傷つけたりすることは違う。

自分は誰かを殺したいから殺す。

苦しめたいから苦しめる。

それは本当におかしいこと。

誰得?という話。

 

残念な望みだなと思う。

でも、そう思ってしまうような背景がその人にはあるんだろうなとも思う。

何していいか、何して悪いか。

それって分別だよね。

 

人としてやったらあかんことと、いいことくらい、区別付けようや。と思う。

 

自分が本当にやりたいとおもったことはやってみよう。

夢は誰のものでもなく

私のもの。

 

誰かに壊されてしまうこともある。

場合によっては。

でも、それはそれ。

私もあった。そういうことが。

でも、それは、夢の設定を間違っていたのかなと、今だとわかる。

 

今は、昔、抱いていた夢が、もっと私にとって素敵な形になろうとしている。

私のビジョンにはみんなの笑顔が見える。

 

もう、それだけで、幸せ。

 

だから、私はやるんだ。

 

このブログを読んでいる人も、やりたいことを踏み出せるように、ちまちま、更新していきたいと思います。

 

落ち込む私も、泣いてる私も、笑ってる私も、

不完全かもしれないけど、

それでいいんだと思う。

だって人間だもの。

それが、私だから。

 

地球みたく、まあるくなって、

みんなでつながりたい。

愛と、対話と、平和が広まっていきますように。

 

自分に言い聞かせる…

停滞

世も自分の周りも停滞しているとき、おおよそ自分も停滞している。

変わらないことを嘆いて、どうしてもっとこうしない、どうしてもっとああしないんだ。と周りに訴えていいのは子供のうちだけ(保護者の存在が必要な年齢まで)だと思う。

もちろん、大人になってから嘆いてもいいし、いつだっていいたいことをいっていい。

ただ、もう、自立してもいい年齢で自立できず(せず)何かに甘んじて生きていくのはやめた方がいいのだろうなと思う。

言い訳

社会システムにのまれて、消費、浪費を繰り返し、「あたりまえ」「常識」に溺れていく。行動してるつもりで、やっぱりどこかに甘んじてる。自分に言い訳してる。

死んでいる人に、どうして動かないんだと言っても無駄。

他に答えを求めても…

相手がどうしたいかとか、どうしたくないのか、そんなことよりも、私がどうしたいのか、したくないのか、なにができて、なにができないのか、誰とどこにいたいのか…ただそれだけなのに。

他に答えを求めても、生きるのは他の誰でもなく、わたし。

マトリックス

ネオやトリニティのようになる。
そんな勇気が必要で。

ネオはネオが信じたから救世主になった。
トリニティが信じたからそうなったわけではない。

強いて言えばトリニティの直感が、ネオを覚醒に導いた。

覚悟と覚醒

生きることは容易ではない。

今の社会システムから足を抜くことも。

でも、もう腹をくくらないと間に合わない。

覚醒しなければ。

目を醒ます。

 

自分に言い聞かせる日々…。

生きているか?

誰が悪いのか?

政治家が教育委員会が…
そこもすごく大事だし私も経験したことから声をあげていき続けるけれども、
そこが変わっても、本質が変わらないとこの国は変わらないだろうなと思う。

 

本質

もちろん、政治家や教育委員会がそれこそ国民を本質的に変えていき、教育することができたらよいのだろうけれども。
それを期待するのはあまりにも他力本願すぎないか?とおもう。

誰かがやってくれる。
なんとかしてくれる。

結局それは
「私」が「何をしたいか」が明確でなく、考えたくない、わからないから、他人に任せとけばいいという考え方なのだろうなと思う。

「私」の人生を歩んでない
=「私」を生きているつもり

になっていないだろうか。

私は私を生きているか…。

私は生きた屍になっていないか…。

 

棚にあげてないだろうか

政権が悪いから国民が悪いのか?
ムサシ云々とかもある。
頑張ってる人もいる。
いや
わかってるよ。そんなこと。

正直、誰が悪いか悪くないかには興味はない。
私が気になるのは自分のことを棚にあげてないだろうかということ。

もっと言えばお互いに棚にあげあっていないかどうかということ。

 

お互いに悪いなら本気で全力で諦めずにやっていこうや。昨日より今日。今日より明日。

 

悔しいけどそれしかない。

ただ、実践していくのみ。

 

出すぎた杭になる!!!

ワクワクすることをやってみる

何それ!
すごくワクワクする!
でも怖いなぁ。

 

そんな気持ちになったら是非やってみたほうがいいです。

 

最近、いろんなしがらみからまた自分を引き剥がして、うりゃぁぁぁっもうふりきってしまぇぇえ!と、出る杭どころではなく、出すぎた杭になることを決意笑

 

だって、私より面白いことしてる人たくさんいるんだもん🎶

 

負けてられない🎶

 

もっと面白おかしく楽しくいきたい🎵

 

そんな風に思います(*^^*)💕

できるのか?ではなくて、やる。

できるの?そんなこと?

私がこんな世の中がいいということを話したときに、え、そんなこと無理だよ。だって長年そうだったんだもん。変えられないからここまで来たんだよ?

 

と、言われることがある。

 

じゃぁ、あなた何かやって来たんですか?

 

はい。こんなことをやってましたよ?と。

色々挙げてくる。

 

私は思った…(この人、デモする世の中や、裁判する世の中を実践してきたのかな…)と。

 

こうしたい!という未来を今ここで実践していない。

 

先に周りを変えること、仲間を集めることに必死で、肝心なことを忘れているような気がした。

 

これは私もとても勉強にさせてもらっている。私もズレた言動をするからだ。

 

できるのか?を悩むよりやった方が早い

 

できるのか?

 

それは誰もやったことがないようなことであればあるほど、明確な答など持ち合わせている人はいない。

 

できるのか、は、結局やってみないとわからないこと。

 

例えばお金のない世の中で過ごしたい。なら、お金のない世の中をまず、自分から実践してみる。

 

一切お金を使わない生活をする。

つまり、それは賃貸を払うような場所から離れて暮らすこと。

買い物をしない自給自足。

あるものだけ、落ちている、捨てられているようなものを使う。

人から貰う。

 

そんな生活になるだろう。

 

お金のない世の中で過ごしたい

というなら、例えばこういう覚悟があるか?ということを問われている。

 

え、そんなの無理。

と思うなら、そんな夢、夢でもなんでもなく、ただの寝言。

 

やりたいことを自分でできているかどうか。

少なからず実践できるかが鍵なのだ。

 

まず、人に言う前に私はこんなことしてます。と、言えるようになりたい。

 

なかなか難しいけれども。

 

怖いけど、今の世の中に安住しているより私は楽しいなと思う。