「生きる覚悟」と「希望の光」~原発事故で自主避難した「15歳の少女」からの告発~

原発事故で自主避難者した経験から生き残る術を模索するブログ

ちょっと落ち着こう

誰をどう推していてもいいのだけれども、「真髄」を見失わないようにしたいところだなぁと感じる今日この頃です。

 

 

日本人の持つ根本的な問題を解決することは「生きる覚悟」を持つことになる。それは少なからず「痛みを伴う」ことも理解する必要があるでしょう。

 

 

 

こんなことになるなんて、とあとから手のひらを返す人も出てくるだろうとも思う。でも、それもまたひとつの流れであり賭けでもあるだろうと思う。

 

 

 

いずれにしても「私は私」の軸を見失わず、行先をしっかりと見据えて生きたい。生きることから離れずに、前に進みたい。

 

 

 

ということを考えて今日は泣いた。よかった。スッキリ。

 

 

どこかの宗教みたくなりやすいのがこの国の特徴。自分が無いから人に依存しやすい。陶酔してあたかも自分が相手であるかのように錯覚する。

 

 

 

だから、I am not ABEというのも、太郎と共に、というのもひとつ間違えればそういうことと一緒になる。

 

 

 

自分が無い。自己肯定感の低さが結局、人々の気を狂わせる。大切なところから離れてふわふわしたなにかになろうとする。

 

 

 

 

太郎さんはこういってるけど「あなたは」どう思うの?安倍さんはこういってるけど「あなたは」どう思うの?

 

 

 

結局そこが無いことによる「支持」も「不支持」も大して変わらないんだろう。

 

 

 

 

この木の根幹は政治じゃない、ということはそういうことを意味している。この木の根幹は人々の魂や心の方。

 

 

 

いい加減に目を覚ませと言われているんだなぁと思って今日の午前中は胸が苦しかった。

「原発事故を経験した15歳の少女からの告発」(仮)出版に向けて

こんばんは。しすたーです。

 

 

参議院選挙も近づき、ネットではれいわ新選組山本太郎)が話題となっています。ネトウヨもぐうの音が出ないとはこのことで、まっとうなことを言っているのでだれも太刀打ちができないというのがなんとも強み。

 

 

ここ数週間で改めて実感しているのは、いかに与党と野党(もちろんそうでない人もいてまとめてしまうことで語弊が生じると思いますがここでは便宜上このようにまとめています)が「チープ」なことしかやってこなかったのかということ。いかにもやってます、というパフォだけしてはい、解散。

 

 

いいかげんにしろ、というのが私の心のこえ。

 

 

いい加減にしろ、というのも、私のこの気持ちの最大のきっかけは原発事故だった。あのとき私は15歳でした。福島県伊達市というところにいました。

 

 

かれこれ、去年から北海道を中心にして講演会を行ってきました。もう20回近い講演会を行ってきました。

 

 

高校生のときから自分が経験したことをブログに書き綴ってきましたが、一時、自分は「過去のこと」よりも「未来のこと」をもっと考える「べき」だと思い、途中で書き綴るのをやめてしまった時期があります。

 

 

日記の書き起こし作業をしていたわけですが、途中で書き起こすのをやめたのは、自分の方向性が定まっていないことによる不安や、恐れが多くあったからです。

 

 

今日、こうして久しぶりに本格的に自分の気持ちを書こうと思ったのは、他でもなく、もう、後がないから、いい加減に私も覚悟を決めて、手記を公開すべきだということに思い立ったからです。

 

 

一年半、講演会活動をしてきて、多くの人から言われたのが、

「そんなこと知らなかった」

「何も言えません」

「本当に申し訳ない」

「大人としての責任を感じる」

「哲学的で素晴らしいと思った」

という言葉でした。

 

 

 

そして、同年代の子達もたまに講演会に来てくれるのですが、

その場合には

「生きていてよかったんだよね」

「本当に苦労してきたんだね」

「未来に向けて諦めないことが大切なんだね」

という言葉がきかれます。

 

 

同年代の子達は自分たちが苦労してきたことを自認していないケースも少なくありません。ベースが苦難である同年代たちからすれば、そこから緩やかに状況が悪くなっているくらいの認識しかなく、感覚がことごとく麻痺していることもすくなくありません。

 

 

そうした恐ろしい構造を打開して目を覚ますきっかけになるというのが私の講演会なんだなとこの一年半で感じています。

 

 

前は自分の手記がどのくらい反響が在るのかということが心配要素でした。

しかし、今となればそんなこともどうでもいいというのが正直なところです。

 

 

とりあえず、書いて出す。

 

 

ということしか今は考えてません。

 

 

私が当時経験したことを話すということは

「告発」になります。

 

 

国はじめ、大人たちがみたくなかったことを

「告発」するのです。

 

 

それが当時の15歳の私の気持ちに報いるために私ができることでもありますし、七代先までの子どもたちのためにできることでもあるだろうと思っています。

 

 

7代先までも続くかわからないという気持ちもありますが、先がどうなるかどうかはその時になってからわかることで、今は今しかできないことをするしかないのです。

 

 

 

タイトル案は

原発事故を経験した15歳の少女からの告発」

内容は

原発事故を経験した私が考えたこと、感じたこと、心身霊魂におこったことを語ります。

 

もちろん、個人的なこと過ぎて公開できないこともあるでしょう。

しかし、それでも、書かなければという気持ちもあります。

 

 

どこまでできるかは自分と相談しますが、出版に向けて動きます。

 

 

ひとまず

選挙。全国比例区は、山本太郎、れいわ、または、おしどりマコで投票していただければと思います。

必ず勝ちましょう。

 

 

どうぞよろしくお願いいたします。

れいわ新選組

こんにちは。しすたーです。

 

れいわ新選組を知らない人も多いそうですが、それもマスコミに全然挙がっていないことが問題なのでしょう。

 

 

今、新聞記者、という映画が話題です。

 

 

もしかしたら、リークしようとしてもリークできない背景があるのかもしれません。

 

 

れいわ新選組の露出度をあげていって、国民による国民のための政治が行われることを切に願います。

 

 

 

どうか、人生の先輩の皆さん、

若い人たち、これから7代先の子どもたちのためにも、れいわ新選組に入れてください。

 

 

 

もしも、どうしてもれいわ新選組が気に食わないなら、おしどりマコさんに入れてください。

 

 

 

1人でもまともな人を政界に送りたいのです。

 

 

 

よろしくお願いします。

伝えたいこと

同年代の若者達へ

私たちの世代は1995年にオウム真理教サリン事件や阪神・淡路大震災もあった時にに生まれ、そだってきています。そして、2011年にも東日本大震災があって、原発事故も起こりました。当時十代だった私たちにとてつもないショックな出来事でした。いいたいとこ、疑問に思うことも相手に伝えることが出来ず、もどかしい思いをしてきた世代でもあるでしょう。

どうせ言っても無駄なんだ

そんなことを思わせられてきた世代でもあります。

「今どきの若者は」

とマウンティングされることもしばしばあったでしょう。

悔しい思いもしてきたでしょう。

今更、上の年代のために何かするなんて、バカバカしいとすら思っている人もいるかもしれません。

でも、どうせ変わらない、とやる前から諦めるのは簡単です。確かにそう思わせられてきた教育の在り方がありました。

でも、ここまで私たちは生きてきました。私はまず私たちがここまで死なずに生きてきたことをお互いに褒め讃えたいと思うのです。

若年層の自殺率は世界トップ。

生きることがしんどい

そう思って命を絶った友人もいるのです。

過酷な状況を理解できない人もいます。そして、それを甘えだと指摘してくる大人もいます。

でも、そうではないことを知っている大人もいます。

私たちの下の世代はもっともっと、過酷な状況をこれから経験していかねばならないかもしれない。それは国政のみならず、地球の寿命ということも考えれば想像にかたくないでしょう。

まず、選挙には当たり前の事として行きましょう。そして、それで変わるか変わらないかより、私たち自身が自分の意思で持って未来を変えていくこともできることを知ってください。

これを読んでいる先人達へ。
若い人たちは経験こそ足りないかもしれない。だからできないと思い込んでいることもたくさんある。でも、そこをリカバーしたり、こんなこともできるよ、と教えて欲しいと思います。

未来は誰かひとりが作るものではなく、一人一人が助け合って知恵を出し合って作るものです。

これからの時代は、直感力と想像力と創造力がいきる時代。変えていきましょう。

上の世代が、もう無理、どうせ無理、と言った瞬間に、次の世代も諦めます。あぁ、それでいいんだ、と。

どうかいまこそ、互いに励ましあって、未来を変えていきましょう。諦めなければ道はひらけます。

 

共依存体質から抜けるために

孤立と独立(単独)、の違いが分からない、共依存体質な人が多い日本。自己肯定感の低さが根本的な問題だろうと私は思う。これが日本がずーっと変わらない理由でもある。「私は大したことございません」がどんどん拗れて捻れて、へそを曲げて、いつしか価値がなければ認められない社会になった。

システムから足を洗うためにはまず、自分の中にある問題に気がつくこと。自分を愛せない人間に他人を愛することなど到底出来ない。

というより、自分を卑下しまくった挙句に、「でもあなたは私より若いのにそんなに出来て…」と言われてもただうんこを投げられた気分にしかならない(ノ・∀・)ノ=●ウソコー!!

前はそれも、ありがとうございます(^^)と一旦受け取るようにしていたが、最近は専、要らない、それはあなたのうんこだから自分で何とかしてね、と返すようにしてる。

それを冷たい?とか、子ども?とか言う人もいるのだけれども、私はそうは思わない(笑)

だってさ、人からうんこ投げられてんのに、笑顔でありがとうございますだなんて、それこそ「わたしって受け止めてえらい」くらいの傲慢さを感じるから。そして、何よりも私は心地よくない。そういうプレイは私は好まない。嫌なことは嫌だと言う。

そうじゃないと、その人もあぁ、投げていいんだこのまま、私は可愛そう。何も出来ないわたしとなんでも出来るあなた。という思い込みをし続けるから。

生きてるだけで素晴らしい

この言葉を時に「人を馬鹿にしてる」と思う人もいるようだ。まるで、赤ちゃんにちゅごいでちゅねーとでも言うような錯覚に陥る?ようだ。

生きているだけで素晴らしい

その本当の意味が分かった時、生かされていること、当たり前のことがいかにあたりまえでないかも分かるようになる。気がつくようになる。

さぁ、眠る前に一緒に今日最も幸せだったことを考えましょう。そして、何よりもその喜びを感じましょう。


あぁ、今日も生きた。生き延びた。
生かされた。

ありがとう。本当にありがとう。

みんなありがとう。
私ありがとう。

おやすみなさい。

とある国の首相と連日の事件

 

他者の痛みも、背景も想像することも無く、ただ自分のことしか考えない人間に愛があるだろうか。彼は愛がない。

 

そして、連日起こっている悲しい事件について「自己責任」「仕方ない」「引きこもりだったから」「親も大変だった」「1人で死ねば」
という言葉が発せられ、それを容認し、同調する人すらいること。

私はこれらのことの根底は同じところにあると感じている。

愛がない。対話がない。

想像力、創造力、直感力の欠如。

自分にはなにができるだろうかと思うと…。

分かちあう場所、ひと。
居場所。環境。

求めよ、さらば与えられん。

でも、求めることすらできない人はどこに向かうだろうか。

私の場合は自分自身に矛先が向いていった。このままでは、自分も周りもボロボロになる。その直感が私をつき動かし、北海道にやってきたようなもの。

 

私はまだ自分でなんとか自分を助けるために、脱出できた。

 

でも、それが出来ない人もいる。

出来ない人をいきなり助けようと思っても道のりは長い。

 

それだったら、その人が信頼できる人を周りに増やすことの方が先決だろう。

自分が変わるしかない。
相手が変わるのを待っても、強いてもなんにもならん。

 

私ができること、やりたいことをやることで、見ていた人が自分から変わっていけば御の字。結局何事も草の根。

1人でも「アベ」になっている人が、目を覚ますように。愛と対話で満ちるように。

直感力、想像力、創造力

こんなご時世だからこそ、問題に呑み込まれるのではなくて、「何がしたくて、何がしたくないのか。何ができて何ができないのか。そして誰とどこにいたいのか。」ということを考え、感じて、直感力、想像力、創造力をフルに使って「愉しく」生きていくことが出来たらいいなと思う。

辛いこと悲しいことばっかり考えてそこに呑まれると、シワも増えるし、疲れちゃうし。

でも、そんなこともあるのは当然。落ち込まないのも怒らないのも、泣かないのも変。不自然。呑み込まれることもあっていい。私だって聖人君子じゃないし、神様でもないw

だって人間だもの。

どんな感情もまずはOK。そうなんだね。って自分も相手も受け止める。

大事なのはそこから「じゃぁどうしよっか」ということ。

自分のやりたいこと、みたい、作りたい未来に真摯に向き合う。誠実に。

そして、感じたことを素直に表現する。

人様に迷惑かけちゃァいけません!!!

って周りから言われて育ったけども、

大人になって思うのは

んなこと、無理やん笑

って。

人にはやりたいこと、やりたくないことがある。人にはできることと、できないことがある。

必ずしもやりたいこと=できること

とも限らない。

自分を知ってるようで私たちは知らない。

助け合っていい。

でも、助け合うことと共依存は違う。

相手の課題を勝手に奪わないこと。

私は私、あなたはあなた。

助け合えることを助け合って、愛で繋いでいきましょう。

そんな世界をまずは身近から作りましょう。

それが平和を叶えることになるかなぁと思います(^^)♥