「生きる覚悟」と「希望の光」~原発事故で自主避難した「15歳の少女」からの告発~

原発事故で自主避難者した経験から生き残る術を模索するブログ

安倍政権 退陣 に思うこと

本当は…原発事故があった時…人々はガスマスクをつけなければならないくらいの線量の場所に私もいたのだ。あの頃、少なくとも、毎時3マイクロシーベルトはあったのだから。

どうだ、あの頃から、国は何かしたか?成したのか?全てを有耶無耶にして、そのままスルー。責任もとらずに。

本来ならば、毎日気休めでもマスクをしなければならなかった。夏場も。まさに今のコロナに直面する人々のように。

だが、あの時今とは逆で、マスクをしていれば白い目で見られ、学校の先生にはマスクをしている理由をきかれ、不安を煽るという理由で外すように促されもした。

もう、あの高校時代を思い出すだけで、
責任を取らない国や東電はもちろんのこと、
周りの大人に対する信頼も全く持ってなくなった。

1番楽しく過ごしたかった時期、
過ごせたはずの時期、
黒歴史と化した。

それは貴方の我慢不足、とか
みんな辛かった、とか
周りの人も頑張ってた、とか
散々言われて、
あなたは「綺麗事」ばかりを喋って
正しさを押し付けて、
自分がやってる事がわがままだと知れ、
とも言われた。

「今は前を向いて。そんなことよりも勉強しなさい。」

という言葉も、暴力でしか無かった。

「あなたのため」「将来のため」という理由で、私の中で最も優先的にしなければならなかった「心のケア」は置き去りだった。デカすぎる過去の消化(昇華)は当時の私には1人では不可能だった。

安倍政権だって、私の中では高校生の時から恨み辛みがたまっていた。安倍政権は何をした。結局何も出来なかったししなかったし、ただあったことをなかったことにするために時間稼ぎをしただけだった。

今だからこそ、私はたくさんの人に支えられてここまで来た

と心から思える。

でも、それ以前に、
今だからこそ思うのは、
よくもまぁ、当時のあの「誰もわかっちゃくれない環境」のなかで、精神をあそこまで壊しておいて、生き延びたなぁ、ということ。

安倍政権下の間で死にたかったことなど、何回もある。そして、その安倍政権を作ったのは当時の有権者か?と思い、(ムサシがとか、組織票がとか、そういう話はここではしない。)またもや世の中の大人という大人に対して「あんたら、私たちの世代の未来、どうする気?」と殺意に達するまでの思いを抱いた。

とはいえ、「人を恨まば穴二つ」という言葉があるように、人を恨んだお陰なのか、私もまた人から恨まれ、責めた分だけ貴重な10代の時間を恨み辛みに費やすことになった。それはもう、取り返しのつかないもの、だった。

でも、私は後悔はしてない。というか、そうするしか無かったし、そういう気持ちだったのだから。

安倍が完全に総理大臣でなくなるまでの間に責任を取らせられるのか?知事抹殺の真実(佐藤栄作元知事に関するドキュメンタリー映画)にもあったように、安倍は福島にとってもキーパーソンになる人間なのに、このままでいいのか?

安倍辞めるんだって、よかったよかった

確かに、とりあえず、よかったよかった
だけれども。

んで?責任とらせるんだよね?追及するんだよね?そこまでやるんだよね?

覚悟はあるのか?散々声を上げてきて、
辞めた途端に、相手は目の前からいなくなったから、次の相手を叩こう、みたいな、そういう安易な考えに浸かってるなら、目覚ました方がいい。

安倍を選んで、その間ここまで息の根を止めることが出来なかったのは誰なんだ。

私はそこは申し訳ないけど、大人気ないかもしれんけど、ずっとずっとしつこく言うつもり。

当時選挙権がなかった1人の若者として。

「お前らはどうせ社会のことも知らんくせに」

と吐き捨てられていた1人の若者として。

あんたらが、「どうせ社会のことも知らん」ようにしたんだよ。そのままブーメランで返してやるよ。

甘いんだ。ツメが。この、ヌルッとした感覚のまま、次の政権にズルッといってみなよ。どうなると思う。ズブズブで、向こうは、いけるところまでいくよ。漬け込んでくるよ。もっとたくさん。

安倍も精神的に弱く、そして、病んでいておかしかったけれども、それと同じくらい、国民の多くも国に声をあげられないくらい精神的に弱く、病んでいる。私もその1人にカウントされるだろう。残念ながら。

新興宗教を信じるように病んでる人と
新興宗教を否定することに躍起になって病んでる人と

病んだもの同士、結局同じ穴のムジナだ。

敵が居なくなれば、また次の敵を。

それはいじめの構造と何ら変わらない。

なんで安倍に責任を取らせる必要があるのか。表面的に「あの人が総理大臣やってるのが気に食わないだけ」という人もいるだろうけど。そういうことじゃないんだよ。

みんな病んでるな。本当に。病気だ。「母という病」という本があるが、「日本という病」という本が出てもおかしくないだろう。

人を責めることは、エネルギーがいる。

そして、それは、残念ながら己のエネルギーも消耗する。

責めてる時間がもったいないから、
という人もいる。

否定はしないし、味方を変えればそうとも言えるだろう。私だって10代をそのように使った1人だから。

でもね…
責めた時間は、
過去と必死で向き合い全てのことを消化(昇華)するためには避けては通れないプロセスだった。

死にたい とか 殺したい とか、
本気で思ったことがある?

本当に辛いんだよ。
あのプロセスは。

でも、あの時間は今の私に間違いなく活きてる。

安倍が個人で「すいませんでした」と責任取ればじゃぁ、私は納得するか?しないだろうな。東電も「すいません」って責任取れば納得するか?しないだろうな。

向き合うべきは、安倍政権や東電や他の大人やらなのか?

違う。

最終的には己と向き合うことになる。

許せない、死にたい、殺したい

そこに蹲って、怒って、恨んで、憎んで、病んで、泣き叫んでる己と向き合うことになる。

さあ、責任追及しかみえてなければ、
この国はまた「責任さえ取ってくれればいい」
という精神で「誰かに国(自分の人生)を任せるに値する人」探しをするだろう。

いい加減、魂レベルで成長しないと、日本どころでなく、地球が滅ぶ。

私も第3の目で見る先を間違えずにいたい。

人に責任だけ押し付けて、
己から逃げぬように。

最後まで自分に責任をもちたい。
そういう「生きる覚悟」をもちたい。

「どうして気が付かないんだろう、わからないんだろう」という目線

こんにちは。しすたーです。

 

 

最近、のどまで出かかっていて言えなかったことがあります。

きょうは、そのことについて書こうと思います。

 

 

どうして気が付かないんだろう、

わからないんだろう

 

 

それは私が311の後、絶望の淵に立っていた時に何度も何度も思ったことでした。周囲の大人たちの「無関心」さ、友達の「ノー天気」さに「傷ついた」私は、「どうしてあの人たちはこうなんだろう」「どうしてわからないんだろう」と何度も悔しくて唇をかみしめました。時にはその無関心にとてつもなく腹が立ち、そして、馬鹿なことを繰り返し、命をないがしろにする人たちを脳内で横に並べて何度も殺しました。

 

 

私は実際に手を下すことはなくとも、何度も人を殺しました。

よくあなたも思うかもしれません。

死ねばいい、殺したい、と。

でも、それはあなたの本心なのでしょうか。

本当にそのように思ったことは何度ありますか?

 

 

 

どうしてあの人はわからないのだろうか、

という気持ち。

 

 

 

今思えば、なんて上から目線なんだろうかと感じます。

 

 

「(私はわかっているのにどうしてこんなに簡単なことが)あなたにはわからないの?」という意味を含んでいるからです。

 

 

 

差別はいけない

人を傷つけてはいけない

ないがしろにする人がゆるせない

といいながら、気が付いていない人たちのことを

突然憐れむような目で見てみたり、

自分のことは棚に上げて「どうして気が付かないんだ」といってみたり。

 

 

 

あなたは何様のつもりなんだ

 

 

 

と今なら自分のことを振り返る。

 

 

 

ただ、だからといって当時の自分を責めるつもりもない。

他にあの時は表現が見つからず、そして、やはり私はその怒りを自分の中で問題解決を行うためのパワーに変換できるほど、利口な人間として出来上がってなどいなかったから。

 

 

誰かを責めることで、誰かよりも自分が優れている、分かっていると思うことで安心したかっただけなのかもしれません。結局自分に自信がなかったから、誰かと自分を比べることで安心して、同じような志を持つ人とつながってつるむことで安心したいという自分もいたのだな、と今だとわかります。

 

 

最近改めて感じているのは「Iメッセージ」と「YOUメッセージ」についてです。私はこう思っています。という言い方をするとよく自己主張の激しい人だといわれることが多かったのですが、ようやく最近「私」という主語を大切にしましょうという話がでてきて私はとても心が楽になっています。

 

 

結局周りが気が付いているかどうかということよりも、自分がどうしたいのかということのほうがよっぽど大切なのだと私は感じています。周りが気が付いたとして、あなたはどうするの?というところが結局求められます。

 

 

一人になるのが怖くて、さみしくて、震えていた私は今もまだ存在していますが、あの高校生のときよりかは、、、、大分楽になってきて、一人の時間も心地よく過ごせるようになってきたのだと思うと、「これでも成長してきたんだな」と少し顔を上げることができます。

 

 

誰かを指さしてあの人は分かっていない、気が付いていない、といってこぶしをあげることよりも、今目の前にある大切な存在を守るために時間もエネルギーも使っていきたいなと思うのです。

 

 

いつもありがとうございます。

また更新します。

 

 

ブルーインパルス

こんばんは。しすたーです。

 

 

久々の更新。

 

 

ブルーインパルスについてです。

 

 

私はあれについて、

ケムトレイルのことやら、

あれが戦闘機なのにとか、

そういう話ではなくて、

今日は私のちょっとした独り言を話したいなと思います。

 

 

 

あー、独り言ね、と思って見てもらえればと思います。

 

 

 

ブルーインパルスを見てる人達の中には色んな思いの人がいると思う。医療関係者のために、というのも、私から見れば甚だ偽善がましく、「ケッ」って感じ。飛ばすためにかかったお金を、医療に回せ、国民に回せ!と思った。

 

 

 

ただね、ブルーインパルスをみて、あーまたやってるよ、わぁ、偽善だよね、とか、思っていられるのも、結局この国が戦争のない平和な国だからなのだと思うと、「またやってる」「偽善だ」と叫びたくなる自分もまた「平和ボケ」した人間のひとりなのかもと思う。平和に慣れてしまってるんだと思う。

 

 

 

皮肉なもんだなぁと思う。

 

 

 

それぞれの価値観でこの同じ空の下を生きているのに、戦闘機の音に震えて今死ぬかもしれないと息を飲む人もいる中で、この国の人は戦闘機に殺されるのではなく、戦闘機が行うパフォーマンスに励まされて、病や過労、貧困で死ぬかもしれないという恐怖に立たされている。

 

 

 

なんなんだろうと思う。

 

 

 

核の平和利用といいながら、

原発という化け物を作り、

それに頼ってきた姿と何ら変わらない。

 

 

 

戦闘機の平和利用?

 

 

 

どこまでもズレているんだなぁと思った。

 

 

 

それでもこの同じ空の下で、

私とあなたがいて、

今日も生きていること、

って凄まじい奇跡だと私は思う。

 

 

 

なんてことのない日常が、

尊い

 

 

 

いろんなことがあっても、

とりあえずここに居ることがあまりにも凄すぎて、

びっくりする。

 

 

 

本当は皆そのくらいに自分の命を大切に出来たらいいのにね。そしたら、戦争なんてなくなるのにね。

 

 

 

 

いつもありがとうございます。

また更新します。

 

 

安倍政権を変えたいと思っている方へ

こんばんは。

 

 

政府はとうとう、1世帯2枚のマスクを配布することにしたようです。

うーん、、、、

 

 

 

 

この対応について私自身はとてももやもやしています。

なんでこんなことになったかなーと。

 

 

 

 

 

〇〇(今回なら国、政府)が、こうしてくれないの。

もっとこうしてよ!とお願いすることってとても大事だとは思うんです。

というか、言わないと相手もわからないし、

変わらないのも事実なので。

(私も政党やら、国やらにHPから要望を書いて送りました。)

 

 

 

 

ただ、この時に

「してもらうのが当たり前」

スタンスで相手に伝えてしまうと、

向こうはあまり乗り気になってくれないんですよね。

 

 

 

 

 

ここがすごく難しいところで。

私もどうそこを伝えたらいいのかがいまいちわからなくてもやもやしているのですが、

確かなことは「相手がどうでてきたとしても私はこう生きていこう」

とはっきり自分の中でまずは決めてしまうことだと思うんですよね。

 

 

 

 

私は、政府が現金支給をしてくれない場合は、最悪お金を借りるのもアリだと思っています。

確かにこれ以上借金はしたくないのですが、

社会福祉協議会やらもお金を貸してくれるそうです。

 

 

 

 

私の場合は、クレジットカードが使えるので、

キャッシング枠も残っているので、

そちらを使うという方法も最悪ありかなと思っています。

 

 

 

 

とはいえ、

これだけ高い税金払っていて、有効に使えていないのってどうしてなんでしょうか。

漫才のような答弁もいい加減にしてくれ~という気持ちになりますよね。

 

 

このブログを読んでいる方にも是非お伝えしたいのは、

選挙にいってないのなら絶対に次は行ってほしいということです。

国民が政府に無関心だから、政府も私たちに無関心なのですから。

 

 

 

 

 

 

なんだか、釈然としない毎日なのですが、

子どもを学校にいかせることも、

「だって政府が学校開始するっていったから」

というのは言い訳にはできないんですよね。

 

 

 

 

 

「じゃあ、あなたは誰かに行かせるな、って言われないと行かせないんですか」

という話になるわけです。

 

 

 

これは原発事故の時もそうだったのですが、

「だって政府が」とか「学校が」とか、そんなことは命をないがしろにしていい言い訳にはならないんです。

 

もちろん、基本的に、そもそも、政府や学校が命をないがしろにする判断をしているところが問題でもあるのですが、そのあり得ない前提があったとしても、命に係わる選択を誰かに代わりにしてもらっていい理由なんてどこにもないんです。

 

 

その基本的な「人権意識」があまりにもなさすぎます。

 

 

結局何が大事なのかもわからなくなってしまっているから、

大切なものを守ることもできなくなってしまっているんだと思います。

 

だってそんなこといっても国が、周りが何もしてくれないんだもん、

 

というのはあまりにもわがままです。

 

子どもがいうならわかります。

未成年の子どもから、

「だって大人がそう勝手に決めたんだ」

といわれたら、私たちは何も言えません。その通りなのですから。

 

 

でもいいですか?

成人したいい大人が言っていいことではないんです。

もちろん、私の世代(20代)の人たちは特に安倍政権が誕生する時にはまだ未成年だった人も少なくありません。

原発が爆発したときも私はまだ15でした。

 

 

 

だからこそ、今の社会にとてつもなく怒りを覚えます。

誰がこんな世の中にした。と毎日のように思います。

ただ、それを言ってるだけでは何も変わらないのです。

だからこそ、できることをしましょう、と伝えたいのです。

 

 

やることやりましょう。

 

たとえば教育委員会に連絡するとか、地元の議員に連絡するとか、

そういう現実的なアクションを起こしていかないと物事は変わりません。

 

 

 

 

そんなことしても無駄、といいながら、

政府に対しての文句しか言わないのは

それはあまりにも人生を他人に任せすぎです。

やれることをやりましょう。

 

 

 

 

確かにそもそもそんなことをしなくとも、まともに機能する政府であってほしいし、

こんなことで市民が分断されることは喜ばしいことではありません。

ただ、それを理由にして「行動しなくていい」ということにはなりません。

 

 

 

 

怒るなら怒るで、覚悟をもって怒りましょう。

嫌なものは嫌、

好きなものは好き、

とはっきりと言いましょう。

そのうえでどうしてほしいのか、きちんと伝えましょう。

こちらはこんなことで困っているので、こうしていただけませんか?と。

きちんと対話する姿勢が大切です。

 

 

 

子どもにはその判断が難しくて出来ないことも多いですが、

コロナはじめ、命にかかわるような出来事については子どもたちはとても的確な判断をくだします。

社会のシステムに侵されていない、シンプル、純粋なアンサーを出してくれるのです。

 

 

 

 

そんな子どもたちを守れない、というのは本当に悲しいことですえーん

 

 

 

大人だから子どもの前では笑ってましょう、

というのはちょっと違います。

子どもはそれすらも敏感に感じ取ってしまうのですから。

 

 

 

 

一緒に、怖いよね、

といって思いを共感したり、

こんなときだからこそスキンシップを大切にしたりしてください。

(ただし、今回は、感染症なのでスキンシップは危険かもしれません・・・本当にこれがつらいのですが…)

 

 

 

 

 

大人の都合によってこどもたちはじめ、

弱い立場の人たちからどんどん命を落とす可能性が高くなります。

それは、コロナだけではなく、他のことで亡くなる可能性もあります。

経済的貧困による餓死、

親のストレスによる虐待死、

ストレスによる暴飲暴食

アルコール中毒、煙草の量が増える、

DV、セクハラ、、、、

あらゆるところでしわ寄せがやってきてしまうことも懸念されますショボーン

 

 

 

 

 

絶対にそんなことは起こらないというマインドを大切にして、

そっちの設定で生きるということももちろんできなくはないですが、

そのことによって、実際に困っている人たちを見捨てることになるのも私は怖いなとも思っています。

 

 

 

 

 

だからどうしろ、という話でもないのですが、

今大切なのは一人一人が、自分の生きる軸を大切にして、

 

 

本当に自分が何をしたくて、したくないのか、

何ができて、何ができないのか

誰とどこにいたいのかということを明確にすることだと感じています。

 

 

 

 

生き方を変えないと生き残れないということが

現実味を帯びて目の前にやってきているという人も多いかと思いますが、

必ずこの状況は打開できる能力を一人一人が持っているはずです。

それは勇気のいることもかもしれないし、

痛みを伴うかもしれませんが、その先にある幸せのビジョンを忘れずに歩めば必ず活路は開けます。

 

 

最後に、若者に自粛を、と言っている人たち。

そして若者の皆さん。

私たちに罪はないです。

こんな社会のベースを作ったのは間違いなく私たちの上の世代です。

でも、おそらく、このことを言うと、

「私たちの時からそうだった」

とか、

明治維新の時から…」

とか、いろいろ話が出てきて、誰が悪いか、という終わりなき犯人探しが始まるのだと思います。

 

そんなあほらしい議論をしたいわけではありません。

ただ、今の社会が出来上がってしまったのはどうしてなのか、

ということを自問自答したうえで、若者に物言う前に、やることやってほしいです。

 

原発事故後も言われてきましたが、

これからは君たちの時代だからよろしく、頑張って

と何気なく私たちに任せようとする人もいますが、

いつも、「それは違います。一緒に頑張りましょう。」と伝えるようにしています。

 

 

一緒に変えてください。

申し訳ない、と若い世代に思っているのなら、なおさら、

一緒に変えていく努力をしてください。

力を貸してください。安倍政権、他の為政者たちを変えることも大切ですが、

まずは私たちが一人一人が生き方と考え方を変えていきましょう。

私たちに彼らが巻き込まれて、変わらざる得ないくらいに、

私たちが変わりましょう。それしか方法はありません。

私ももっと変わります。

 

読んでくださってありがとうございました。

また、更新します。

 

コロナウイルスと問われる「生きる覚悟」

こんばんは

 

 

今月は道新、札幌市面に大きく載せていただけて感謝です。ありがとうございます。

 

 

 

コロナ騒動。

 

 

 

原発事故とのデジャブを感じています。

 

 

 

そして、

やはり、行き着く私の問は同じ。

 

 

 

何をしたくて、何をしたくないのか。

何ができて、何が出来ないのか。

そして、

誰といて、どこにいたいのか。

 

 

 

 

 

私の中の砂時計がまた動き出しました。

いつ動くのか、とモヤモヤしていましたが、

とうとう。

 

 

 

 

数ヶ月後、私は新しい土地にいることでしょう。

新しい人達に囲まれて。

 

 

 

 

私の場所に還っていきます。

 

 

 

 

またぽつりぽつりと思うことがあれば綴ります。

noteももう少し投稿増やします。

 

 

 

 

いつもありがとうございます。

また更新します。

制御不能のシステム社会

制御不能になった機械を止めるのに、人が入ってハンドル回しに行くんだよ。他に何がある?誰かが人柱になればいい、と嗤ってる。

これは原発だけの話じゃない。

この狂った「社会システム」という制御不能なものに、どうやって歯止めをかけるのか?って?勝手にオワタんになるのを待つのか?また爆発するのをみてる?高みの見物?あー怖いーって言いながら?

そのシステムの歯車になって機械を回してる自分を必死に守って、誰かが人柱になっていくのを嗤ってみて。

怒らないでもっと穏和に。
頑張れ、○○。

歪んだ応援に
歪んだ愛。

優しい社会
とかいいながら、
どこに向かうの?

貴方はどこへ向かうの?
私はどこへ向かうの?

 

 

大きな独り言…

 

飛行機ももちろん、フクイチの放射性物質をうけて飛んでいるのもあるわけで。行った先、または飛行機の中で被ばくして、帰ってきてから体調崩す人の話も少なくない…。ただ…ふと最近思うのは…今世…やらんと後悔しそうなことをやらんで終わることは嫌だなぁとも思う…。

あの人に…あの場所に…あの時…
被ばくするから…
という理由で…

私の心は揺らいでる。
被ばくしてまで…
そのリスクを背負ってまで…
行かなきゃ行けないのか?…

師(勝手に師だと思ってる(笑))には言われるだろうし、行けばまた…私の中の時限爆弾が炸裂するかもしれない。

それでも…

会いたい人に会って、
行きたい場所に行きたい……
リスクをできるだけ回避しながら…

きっと…それを
甘い
と、師をはじめ、もっと気をつけている人や、それこそ、数年前の私なら言うだろう…。

私は「甘く」なったのかもしれない…
それは「諦め」なのか…
はたまた…また…数年前抱いた「覚悟」とは違う「覚悟」をもっただけなのか…

綺麗事をいえば、
「甘く」なったのではなく…
「ゆるせる」ようになったのかもしれない…

「仕方ない」

と、言えるような…
心から…
「だってにんげんだもの(仕方ない)」
と、言えるようになったのかもしれない……。

ゆるし、という名の逃げ、なのか、、、。

だれも答えなんて知らない…。

命の天秤

3年間の高校生活と命(健康)を天秤にしたあの時と違うのは…

今の私は
私の人生と地球の時間 を天秤にかけているということ。

まだ空にいる…私の子どもは…
私を見て何を思っているだろうか…
…ごめんよ
まだ、君をこっちに呼べるほど、
君が来たいと思えるほど、
こっちの世界も私も、準備はできてない気がするんだよ…。

今世は今世しかない…
今は今しかない……

だとしたら…
私はどこに向かいたいのか…
今年、3年後、6年後…私はどこにいたい?
何をしてたい?

今年、3年後、6年後…
あの場所はまだ存在してる?…
あの人はまだ生きてる?…

私は
どんな夢がある…?
いま、何がしたいしたくない?…
誰とどこにいたい…?

また私は自分のプレゼンのスライドを見ながら、自問自答する…。

未来を決めない
今目の前の選択を全力で…
したいことを…したいように…
…できたらいいよな……