「生きる覚悟」と「希望の光」~原発事故で自主避難した私が感じていること~

原発事故で自主避難者した経験から生き残る術を模索するブログ

共依存体質から抜けるために

孤立と独立(単独)、の違いが分からない、共依存体質な人が多い日本。自己肯定感の低さが根本的な問題だろうと私は思う。これが日本がずーっと変わらない理由でもある。「私は大したことございません」がどんどん拗れて捻れて、へそを曲げて、いつしか価値がなければ認められない社会になった。

システムから足を洗うためにはまず、自分の中にある問題に気がつくこと。自分を愛せない人間に他人を愛することなど到底出来ない。

というより、自分を卑下しまくった挙句に、「でもあなたは私より若いのにそんなに出来て…」と言われてもただうんこを投げられた気分にしかならない(ノ・∀・)ノ=●ウソコー!!

前はそれも、ありがとうございます(^^)と一旦受け取るようにしていたが、最近は専、要らない、それはあなたのうんこだから自分で何とかしてね、と返すようにしてる。

それを冷たい?とか、子ども?とか言う人もいるのだけれども、私はそうは思わない(笑)

だってさ、人からうんこ投げられてんのに、笑顔でありがとうございますだなんて、それこそ「わたしって受け止めてえらい」くらいの傲慢さを感じるから。そして、何よりも私は心地よくない。そういうプレイは私は好まない。嫌なことは嫌だと言う。

そうじゃないと、その人もあぁ、投げていいんだこのまま、私は可愛そう。何も出来ないわたしとなんでも出来るあなた。という思い込みをし続けるから。

生きてるだけで素晴らしい

この言葉を時に「人を馬鹿にしてる」と思う人もいるようだ。まるで、赤ちゃんにちゅごいでちゅねーとでも言うような錯覚に陥る?ようだ。

生きているだけで素晴らしい

その本当の意味が分かった時、生かされていること、当たり前のことがいかにあたりまえでないかも分かるようになる。気がつくようになる。

さぁ、眠る前に一緒に今日最も幸せだったことを考えましょう。そして、何よりもその喜びを感じましょう。


あぁ、今日も生きた。生き延びた。
生かされた。

ありがとう。本当にありがとう。

みんなありがとう。
私ありがとう。

おやすみなさい。

とある国の首相と連日の事件

 

他者の痛みも、背景も想像することも無く、ただ自分のことしか考えない人間に愛があるだろうか。彼は愛がない。

 

そして、連日起こっている悲しい事件について「自己責任」「仕方ない」「引きこもりだったから」「親も大変だった」「1人で死ねば」
という言葉が発せられ、それを容認し、同調する人すらいること。

私はこれらのことの根底は同じところにあると感じている。

愛がない。対話がない。

想像力、創造力、直感力の欠如。

自分にはなにができるだろうかと思うと…。

分かちあう場所、ひと。
居場所。環境。

求めよ、さらば与えられん。

でも、求めることすらできない人はどこに向かうだろうか。

私の場合は自分自身に矛先が向いていった。このままでは、自分も周りもボロボロになる。その直感が私をつき動かし、北海道にやってきたようなもの。

 

私はまだ自分でなんとか自分を助けるために、脱出できた。

 

でも、それが出来ない人もいる。

出来ない人をいきなり助けようと思っても道のりは長い。

 

それだったら、その人が信頼できる人を周りに増やすことの方が先決だろう。

自分が変わるしかない。
相手が変わるのを待っても、強いてもなんにもならん。

 

私ができること、やりたいことをやることで、見ていた人が自分から変わっていけば御の字。結局何事も草の根。

1人でも「アベ」になっている人が、目を覚ますように。愛と対話で満ちるように。

直感力、想像力、創造力

こんなご時世だからこそ、問題に呑み込まれるのではなくて、「何がしたくて、何がしたくないのか。何ができて何ができないのか。そして誰とどこにいたいのか。」ということを考え、感じて、直感力、想像力、創造力をフルに使って「愉しく」生きていくことが出来たらいいなと思う。

辛いこと悲しいことばっかり考えてそこに呑まれると、シワも増えるし、疲れちゃうし。

でも、そんなこともあるのは当然。落ち込まないのも怒らないのも、泣かないのも変。不自然。呑み込まれることもあっていい。私だって聖人君子じゃないし、神様でもないw

だって人間だもの。

どんな感情もまずはOK。そうなんだね。って自分も相手も受け止める。

大事なのはそこから「じゃぁどうしよっか」ということ。

自分のやりたいこと、みたい、作りたい未来に真摯に向き合う。誠実に。

そして、感じたことを素直に表現する。

人様に迷惑かけちゃァいけません!!!

って周りから言われて育ったけども、

大人になって思うのは

んなこと、無理やん笑

って。

人にはやりたいこと、やりたくないことがある。人にはできることと、できないことがある。

必ずしもやりたいこと=できること

とも限らない。

自分を知ってるようで私たちは知らない。

助け合っていい。

でも、助け合うことと共依存は違う。

相手の課題を勝手に奪わないこと。

私は私、あなたはあなた。

助け合えることを助け合って、愛で繋いでいきましょう。

そんな世界をまずは身近から作りましょう。

それが平和を叶えることになるかなぁと思います(^^)♥

できること

農薬がぁ、遺伝子組み換えがぁ、と叫ぶことは容易。でも、「私がどうするか」「なにができるか」と考えたときに出てくる答えは「自分で作りたい」ということ。

 

 

農薬なんかは特に悲しいかな農家さんたちが頼らざるを得ない状況なのも承知。無農薬、オーガニックがいいことは農家さんの方がよくわかってるはず。

 

 

でも、それを続けないと「食べていけない」つまり、「お金にならない」「大量生産消費に間に合わない」という現状があるのだ。

北海道に来る前に、ある人からよく言われていたのは「システムや他人に色々文句を言うんじゃなくて自らそこから離れる努力をしなさい。それがこれから生きていく力になるから」と。

 

 

あれから四年。去年は大きな地震もあって初心に帰ったはずだった。でも、やっぱり私はこの「システム」に安住したい気持ちがある。

 

 

愚かしいなぁと思いながらも、それでも、できることからシフトしていくしかないと自分を励ます。

 

 

去年、オホーツク行きが流れたのも今となればよかったなぁと思う。まだ、札幌でやりたいことがあるし、やっぱりなんやかんやいって、札幌も好きなのだから。

 

 

でも、せめてもう少し土に近い生活がしたい。もっと自然に触れていたい。

 

 

私の師は怒っているだろうか…

悲しんでいるだろうか…

 

 

やっぱりまだ他人の目を気にして、モヤモヤしてる自分がいるんだなぁと思う。

 

 

札幌もそれなりに線量がある。

あまり、ここに長く滞在するのも本望ではないけれども、でも、根はここから動きたくないのだろう。

 

 

現実問題先立つものも無いから動くにも動けないのだけれども。

 

 

 

「生きる覚悟」と「希望の光」

311

 

8年が経ちました。

 

別に311だからって、何かを「思い出す」わけではないです。だっていつも思い出しているから。

 

私にとって311は、「生きる覚悟」を持ち直して、また、「生きていこう」と決める日。今年も生きていくぞ!と思う日になった。

 

でもこんなふうに思えるようになったのもようやくこの二年くらい。

 

ここまで、本当によく生きてきた。

 

高校生の頃は本当にしんどくて、死にたくて辛くて、、、、

でも、、、たくさんのことがあって生きてきたね。

 

本当に、今だからおもうよ。

生きてきてよかった。生きてきてくれて、ありがとう。

 

私はそんなふうに自分に言ってあげられるようになった。

 

それだけで私は進歩したし、少しは強く、しなやかになったかなと思います(*^^*)

 

希望の光はどこにあるんだ、と探し回っていた過去があります。

だけれども、気がついたのです。

希望の光は「私の中にある」「一人ひとりの中にある」と。

 

そのことにようやく気がついて、私が輝いていいんだ、生きていていいんだと思えるようになった。

 

それって本当に大きな出来事だと思う。

 

また、毎日生きていくんだ…。

 

こんな世の中だけれども。

 

 

今年もほそぼそとブログは続けていく予定です。

どうぞよろしくお願いいたします。

 

愛と感謝をこめて。

 

抗がん剤について考える

抗がん剤を使いたくないという人もいると思います。

そうした自然派のかたにオススメしたいものがあります。

治るということははっきりとはいえませんが、漢方でもあるので飲み続けることに意味があると思います。

白花蛇舌草というものです。

肝臓のデトックスおよび、白血病、マクロファージの機能を高めます。免疫力が下がってきていると感じてる人にはオススメです。

https://amzn.to/2HZbpzn

ハンシンレンという漢方も有効で胃がん、大腸がん等によいとされています。

 

 

 

 

 

 

山下俊一のこと

http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201901/CK2019012802000122.html

 

ようやくか。裏切り者。
早野氏の一件でやべぇってなったんだろうな。
国に嫌われることよりも、国民や世界から嫌われることを嫌がったというところかな…。

一生許さんよ。山下俊一。
あんたの一言で友達や知り合いが何人も残ったんだからな。

あんたの一言で私も何度も発作に見舞われてたんだから。

責任とってね。山下俊一。

自分の首が大切で、人としてやったらオワリのことをしたんだよ。

深刻な状況なのに、自分の首が大事で避難することをさせなかったあんたは…十五の私には裏切り者にしか見えなかったよ。

ニコニコしてたって、あがるのは免疫力だけで、放射能に太刀打ちできるなんてお門違いなんだよ。

山下。あんたの他に何にも私は頭の中で何度も……。でもね…その度に私は泣いてたんだ。苦しんでたんだ。人を恨んで憎んで、裁いて。でもそれは十五の純粋な何も知らなかった私の心と体と魂を散々傷つけたんだ。

でもね、あんたがそうやって、やっぱりこうでした、って発表したことで、また私は肩の力がどっと抜けたことを感じた。

あんたのこともずっとこの八年重荷だった。幸せになろうと思えない、訳がわからなくなってた八年間に、私は九年目にしてようやく自分の幸せに集中したいと思えるようになったんだ。

人間は恨み辛み、憎しみを抱えて生きることは思いもよらず消耗し、その相手に向ける負のエネルギーを私は負のエネルギーとして自分に跳ね返ってくることを知った。

人を殺したいほどに恨み憎んで。

でもその瞬間に私はあんたとなんも変わらんのかもしれんともおもった。

神様だったら、たとえそれがこっちの世界でどんなに「正しい」怒り憎しみ悲しみの殺意だとしても、それは単なる殺意でしかなく人を殺すことを想像した私には既に罪があるとおもった。

自分の憎しみや怒りや悲しみに、私はうちひしがれた。山下やその他素知らぬ顔して現実を知ってるくせに裏切り人の心と魂と体を蔑ろにして、自分の首を「守って」ふんぞり返ってるあんたらが一番許せなかった。

私の心はあんたらのことになると今でも暴れだす。そうなった瞬間に私の心にいる私は鎖に繋がれて鬼のような形相で「離せ!離せ!あいつを…」と鎖がなかったら何をしでかすか分からなくなる。

それはいつか無差別な殺意にもなってしまうような気がして恐ろしいほどの殺意なんだよ。

でも、そのエネルギーに私は恐れすら抱き、自分を責めた。こんなことを考えてしまう自分なんていなきゃいい。と。

…山下。あんたはこの八年の私を見て何て言う?ニコニコしてなかったからそんなことになったんですよ、とでもいうか?

私は謝ってほしい訳じゃない。

ちゃんと責任取れって言いたいんだよ。

でもね、あんたら裏切り者がいなかったら、私は一生自分の中にある本質的な闇には気がつかなかっただろうよ。

必要悪なんてことがいいたいわけじゃないけど、私は今となれば自分のことが知れてよかったとは思ってる。  

でもそれはね、私が私と向き合って必死にこの八年死の縁あるきながら生きることを選ぶって決めたからなんだよ。

あんたの覚悟はどこにあるんだ?
山下。

責任とれよ。ほんとに。

 

私の山下はじめ裏切り者の大人たちへの思い。

疲れたな…ほんとに…笑
この八年。

もう今までみたいな頑張り方やめようと思った、というか、気がつかされたというかね。  

 

あんた、もう、がんばってきたんだから、あとは自分の幸せのために生きな、っていろんな人を介して天使やら神様やらがお声かけしてくれてんだなぁって思うんだ…。

 

ほんと、力抜けるよ。

 

でも、思うよ。確かに勝手に背負って、1人で頑張りすぎたのは私自身の責任なんだ。

もちろんきっかけは山下はじめあんたらなんだけどさ。

 

でも、そっから、私はここまで、生きてきたんだ。

生きてきたんだよ。

これってあんたらに負けなかった私の勝ちだと思わんか。

裏切り者がいるなかで、

死ぬほど辛くて

死ななかった、死ねなかった私を

私は愛しく思う。

でも、今の愛しさはあんたらがいなかったら感じ得ない「生きる喜び」でもある。

絶望しながらも希望を見いだしてきた八年。

その風潮は毎年私の中で強くなってきてる。

絶望できる感性と希望を見いだせる感性。
光と闇が一緒になってる私は愛しい。

皮肉にもそれはあんたらがいなきゃ成り立たんものだった。

ほんと、皮肉だな。

でも、許しはしない。
責任はとれ。山下。裏切り者たち。