「生きる覚悟」と「希望の光」~原発事故で自主避難した「15歳の少女」からの告発~

原発事故で自主避難者した経験から生き残る術を模索するブログ

権力や地位やお金は本当に汚いのか

わたしは、権力や地位やお金を守りたいがゆえに、またはそれを持っていることをいいことに、人の尊厳をないがしろにする大人が本当に許せなかった。

でも、私はふと気がついた。
私もほんとうはそれがほしかったんだよな。と。
悪魔と魂を交換するための手段として権力や地位やお金を手にするのではなくて、(権力や地位やお金を得るために悪魔と魂を交換してる気もするけど)、もっと、世の中のため、人のため、誰かのためにその持っているものを分けられたらいいのにと思っていた。

薄々と、そういった権力や地位やお金を否定しながらもどこか、それを本当は得たいのに僻みがましいような…それも罪悪感もおぼえていて。私は誰かを支配したいのか?と自分を疑っていたし、そういう自分もいるのかもしれないと自問自答していた。

今、気がついたのは、私は元来誰かを支配したいという欲ではなく、誰かのために、それこそ、困ってる人を放っておけなくて、その人のために何かできたらと奔走することが自分の喜びだったなとも思い出した。

原発事故によって大人の権力や地位やお金の使い方や、今のシステムではそれを有効に使うことも、誰かを助けることもできないという現実にうちひしがれて、権力や地位やお金がまるで汚い代物のように思えてしまったんだなと。それが当時の私の純粋さでもあったのだと思う。

あの日以来、福島での生活はなんやかんや思い出そうとしても思い出せなかったり、思い出しても、砂嵐に巻き込まれてしまうような感覚が多かったのだが、年々、ふと、思い出すことも増えてきた。それを落ち着いて客観的に振り替えることができるようになってきたことも喜ばしい。

今の私は思う。
権力や地位やお金は使う人が適切に使えば人のためになり、誰かを助けることもできるんだと。
ただ、それができるひとが選挙に出れない現実と、出ても受からなかったり、運よくそうした場に出れても老ガイたちのエネルギーに巻き込まれたり、押し潰されたりする。

改めて、私は何がしたくて何がしたくなくて、何ができて、何ができないのか。そして誰とどこにいたいのかと問う。

気がついてよかったなと思う。
何かまたひとつ目の前の壁がなくなったような気がする。