「生きる覚悟」と「希望の光」~原発事故で自主避難した「15歳の少女」からの告発~

原発事故で自主避難者した経験から生き残る術を模索するブログ

とある国の首相と連日の事件

 

他者の痛みも、背景も想像することも無く、ただ自分のことしか考えない人間に愛があるだろうか。彼は愛がない。

 

そして、連日起こっている悲しい事件について「自己責任」「仕方ない」「引きこもりだったから」「親も大変だった」「1人で死ねば」
という言葉が発せられ、それを容認し、同調する人すらいること。

私はこれらのことの根底は同じところにあると感じている。

愛がない。対話がない。

想像力、創造力、直感力の欠如。

自分にはなにができるだろうかと思うと…。

分かちあう場所、ひと。
居場所。環境。

求めよ、さらば与えられん。

でも、求めることすらできない人はどこに向かうだろうか。

私の場合は自分自身に矛先が向いていった。このままでは、自分も周りもボロボロになる。その直感が私をつき動かし、北海道にやってきたようなもの。

 

私はまだ自分でなんとか自分を助けるために、脱出できた。

 

でも、それが出来ない人もいる。

出来ない人をいきなり助けようと思っても道のりは長い。

 

それだったら、その人が信頼できる人を周りに増やすことの方が先決だろう。

自分が変わるしかない。
相手が変わるのを待っても、強いてもなんにもならん。

 

私ができること、やりたいことをやることで、見ていた人が自分から変わっていけば御の字。結局何事も草の根。

1人でも「アベ」になっている人が、目を覚ますように。愛と対話で満ちるように。