「生きる覚悟」と「希望の光」~原発事故で自主避難した「15歳の少女」からの告発~

原発事故で自主避難者した経験から生き残る術を模索するブログ

矛先は自分へ … 自分を抱きしめて生きること

 

 

今日は恨む、憎む、妬むことで矛先はどこ向かうのかということと、その気持ちをどうしたらいいのかについて考えます。

 

 


恨む、憎む、妬むこと。
すべてのことを奪っていったあいてを
貶めたいと思う心。
責めたいと思う心。


その気持ちは当然誰しもがもつものです。

 


私も相手を殺したいと思うほど憎んだことがありました。しかし、その結果、1番苦しんだのは自分でした。憎んだ相手は苦しんでいる人のことなど関係なしに富を得て、幸せな生活を送っているように見えました。

 

 


恨んで恨んで恨んで。
憎んで憎んで憎んで。
妬んで妬んで妬んで。

 

 


それで私はエネルギーとしては相手に確かに「呪いの念」を送ったことになりました。もしかすると、その影響を少なからず彼らも受けているかもしれません。それは今世で影響として現れるかはわかりません。来世自分が送った念が「活かされて」最悪な人生を送ることになるかもしれません。

 

 


私は相手にとことん敵意を向けることで、自分が苦しくなりました。高校生のとき、そのことによって自殺を試みましたが死ねずに終わりました。

 

 


感情が死にました。
魂の輝きなど失われ、
寂しさや虚しさに襲われました。

 

 

 


たとえ、その恨んだ相手が死んだとして
私の中の傷はいえるのだろうか
とふと思うようになりました。

 

 

 


たとえば、戦争が起こって身内が死んでしまったとして、敵に自分の大切な人が殺されたから相手の大切な人を殺すというのは美しいことでしょうか。

 

 


ここで「美しい」と使ったのは、
この問題は「正しさ」という概念で語ることが出来ないからです。

 


今、自分自身や身の回り、日本でも世界でも痛ましいことがたくさんおこっていて辛いという人もいるでしょう。そして、やり場のない怒りを特定の人にぶつけることでその場をしのいでいる人もいるかもしれません。よくこれを、自己満足を得るためのマスターベーションと表現することがあります。ただ、抜くため、逝くための虚しい作業のように行われる行為はさらなる悲しさと虚しさを呼びます。

 

 


だからといって、
安易にゆるすことはしなくていいし、出来なくていいのです。そして、恨むな、憎むな、妬むなともいいません。なぜなら、それも必要な事として人は経験するからです。

 

 


悲しみを悲しみ抜いて、
虚しさに浸って、
怒り抜いて
そんな自分を
いつか心の底からゆるして
抱きしめて
辛かったよね
よく生きてきたね
と伝えてください。

 

 


これは数ヶ月でできることではありません。
何年もかかります。
どこまでも自分と向き合って、
自分の良い友達になって
まずは自分に愛を送り続けてください。

 

 


1人でやることが難しいこともあるでしょう。
その時は、誰かを頼ってもいいのです。
日本人は人に頼ってはいけないと思い込んでいる節があります。それは潜在意識にまで染み付いてしまっています。

 

 


辛い時に辛いと言うことは決して悪いことではないし、弱いことでもない。

 

 

 


本当に強いひとは
人を頼り、相談し、
そんな自分をも受けています☆。.:*・゜

 

 


それは許しではなく、赦しなのです。
好き嫌いは許すか許さないかの次元ですが、
愛は赦しによって生まれます。

 

 


相手に向けている感情にすべてOKを出しましょう。そして、その感情をよく聞いてください。

 

 

 


繰り返しますが、
憎んでいいし、恨んでいいし、妬んでいいのです。その気持ちを抱きしめて癒してください。

 

 

 


その先に本当の意味での癒しと愛で自分が楽になっていくことを感じます。

 

 


このプロセスは何度も繰り返すことになりますが、少しずつ波が穏やかになっていきます。最初は辛くとも少しずつ、少しずつ、楽になっていきます。

 

 


必ずこの壁を乗り越えられると自分を信じてください。それが何よりもの自分へのエールになります。

 

 

 


今回は少しヘビーな内容になりましたが、
悩んでいる人、苦しんでいる人にヒントになればと思います。


いつもありがとうございます。
また更新します。